項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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広瀬通り | 横断地下道 | 1986年(S61) |
* 1986年(S61)5月16日、広瀬通地下歩道、一部完成 * 1987年(S62)4月13日、横断地下道開通 |
「続・ 宮城県郷土史年表」P205、P222 | |
広瀬通り | 東一番丁付近の拡幅が完成 | 1954年(S29) | * 1954年(S29)4月、広瀬通り、定禅寺通りとも、東一番丁付近の拡幅が完成 | 「東一番丁連合会 創立五十周年」記念誌P9 | 「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P40(S33、広瀬通・東一番丁角、空撮) |
広瀬通り | 全線開通 | 1967年(S42) |
* 1967年(S42)1月25日、広瀬通りが全線開通、同時に定禅寺通りの拡幅も完了(東一番丁付近完成はS29年4月) ・ 植栽は、当初は桜、柳 → その後はイチョウに |
「東一番丁連合会 創立五十周年」記念誌P9 座談会「仙台 戦中戦後を語る」 |
「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P48~49(S34、東二番丁通り角付近、俯瞰) |
広瀬通り | 戦後新設 |
「広瀬通り」は、戦後の仙台市戦災復興事業で、青葉通りとともに市中心部を東西に貫く幹線道路として、仙台空襲(S20年7月)の焼失地域に新設された ・ 幅員36メートル ・ 旧立町通り、旧玉澤横丁、立町を拡幅、その他は空襲焼け跡に造成した * 1952年度(S27)、車道の中央部分の舗装開始 * 1953年(S28)、大部分が、日米行政協定による事業として、一気に舗装すすむ 旧・「玉沢横丁」は1907年(M40)に拡幅され、東一番丁の中心的存在に(娯楽街として仙台第一の地位)(昭和41年河北新報記事による) |
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P404 | 22-19、22-20、22-21、22-22/「市民の戦後史(仙台市)」P59(S25年の東一番丁角付近、元寺小路付近) |
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