項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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金属回収 | 軍馬銅像 | 1943年(S18)か1944年(S19) |
* 1943年(S18)か1944年(S19)、桜ケ岡公園(西公園)にあった軍馬の銅像「日露役殉死軍馬銅像」が、S18年か19年に供出された ・ 戦後しばらくは台座のみが残っていた |
99-120、53-63 | |
金属回収 | 政宗卿騎馬像 | 1944年(S19) |
* 1944年(S19)1月22日、仙台城跡(天守台)の伊達政宗銅像(騎馬像)の金属供出「出陣式」が行われる 「青葉城址に建立せられし藩祖政宗公の馬上姿の銅像も、金属回収に応召することとなり、22日の青年団令旨奉戴記念日を卜し、仙台市及び護国神社共同主催のもとに、県下青年団代表参集して盛大なる銅像出陣壮行式を挙行す。この折、詩人土井晩翠銅像出陣の詩あり」(重訂 宮城県郷土史年表) |
「仙台市史 年表」P113/「重訂 宮城県郷土史年表」P499~500 | |
金属回収 | 市電レール | 1944年(S19) | * 1944年(S19)3月、市電芭蕉の辻線が廃止となり、レールを剥がして、戦時金属回収のため供出 | 「仙台市史 特別編4 市民生活」P92 | 「仙台市史 特別編4 市民生活」P92(S19年、金属供出のためはがされる市電芭蕉の辻線のレール) |
金属回収 | 街灯 | 1942年(S17) | * 1942年(S17)8月、東一番丁の街灯(スズラン灯約200本、約7万貫)も「愛国回収」と称して供出 | 「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P26 | |
金属回収 | 寺院の梵鐘など | 1942年(S17) |
* 1942年(S17)11月6日、大年寺の名鐘、白銀混鋳の「開静鐘」など(仙台市内の)各寺院神社等の撞鐘をはじめ金属製の調度品(国宝級のものを除く)を戦時資材として回収開始(“応召”より除かれた三古鐘は、正楽寺、洞雲寺、箟峯寺) * 1942年(S17)11月12日、各寺院より“応召”した梵鐘の壮行供養会を東一番丁の西本願寺に於いて挙行 |
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P26/「重訂 宮城県郷土史年表」P493/「仙台年表」P214 | 「目で見る仙台の歴史」P168(各寺院供出物の山) |
金属回収 | 銅像「壮行式」 | 1943年(S18) |
* 1943年(S18)8月10日、仙台市内にある知名人の銅像・胸像52体、市役所で「壮行式」をあげて供出 元首相斎藤実、元枢密顧問藤沢幾之助、元貴族院議員伊沢平左衛門、元衆議院議員氏家清吉、元東北帝国大学総長本田光太郎、当時の市長今村武志、元仙台市長早川智寛、元仙台市議小西利兵衛、河北新報社社長一力次郎、大内合資会社社長大内源太右衛門など /このうち伊沢氏の胸像だけで20体あった。 |
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P36~27/「仙台市史 年表」P112 | |
金属回収 | 伊達安芸銅像 | 1944年(S19) | * 1944年(S19)5月27日、松島瑞巌寺境内の伊達安芸の銅像、金属回収に応召出陣となり「壮行式」 | 「重訂 宮城県郷土史年表」P308 | |
金属回収 | 開始 | 1939年(S14) |
* 1939年(S14)2月16日、商工省、鉄製不急品の回収開始 * 1939年(S14)4月7日、宮城県内で金の提出運動始まる(各家庭は7月5日までに保有内容を申告) * 1940年(S15)、米国などが、鉄くずや銅鉱石の日本向け輸出禁止 * 1941年(S16)9月1日、金属類回収令により金属回収開始 <仙台市では> * 1941年(S16)10月1日(興亜奉公日)、仙台市では「戦争物資動員の日」と定め、回収強化 / 家庭の門扉、欄干、手すり、鉄瓶、傘立て、火鉢、洗面器、置物、花器、文房類まで回収 * 1942年(S17)1月20日、仙台市で一般家庭金属類特別回収(第2回特別回収、買上げ班が各戸を回り買上げ伝票に記入、財団法人・戦時物資活用協会が買上げ) 「1月20日、公会役員や中学生が14班に分かれて荷車やリヤカーに「金属特別回収訪問班」と書いた小旗を立てて各家庭をまわり供出を呼びかけました。 床の間の花瓶、仏壇に供えてあった花立て、大鍋、青銅の火鉢、傘立てなどの金属が提供されました。」(「戦争のころ 仙台、宮城」P117) * 1942年(S17)5月12日、工場、会社、商店、旅館、寺院などから金属回収が始まる(菅家年表) * 1942年(S17)11月16日、ニッケル、銅貨も回収(10銭と5銭ニッケル貨、白銅貨)(菅家年表) * 1942年(S17)11月~1943年(S18)2月、火の見櫓や家庭必需品を除く一切の銅鉄製品を回収 * 1943年(S18)8月、勅令改正で強化された ・「1943年8月、「金属類非常回収実施要領」が閣議決定され回収はより強化。 鉄製品では、門扉、鉄製ベッド、物干し、ストーブ、ロッカーなど、銅製品では新聞受け、シャンデリア、洗面機などが加えられ、公共物ではマンホール、交通標識、橋の欄干など。 仙台市立病院は昭和14年に鉄筋5階建てのビルに改修し、170台のベッドを購入したばかりでしたがこれも供出され木製に、片平の東北帝大キャンパスの周りを取り囲んでいた鉄製欄干もやはり木造に変わりました。 回収方法はよりシステム化され、隣組ごと日程を組み、会場では公会役員立ち合いのもと、買上げ者が物品を鑑定して値段をつけていきました。」(「戦争のころ 仙台、宮城」P117~118) * 1944年(S19)3月、仙台市電「芭蕉の辻線」のレールを回収 * 1944年(S19)9月15日、白金の強制買い上げ * 1944年(S19)9月25日、銀の買上げ(まず、東京から始まる) * 1944年(S19)、松島町字高城の松島橋、金属回収のため解体 * 1945年(S20)10月22日、金属回収令廃止 写真16-57と16-69は、金属回収で店の看板がなくなった仙台駅前 |
仙台市での金属回収は、「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P25~27に記述あり 岩波ブックレット「年表 昭和史」P16/「仙台年表」P209、P214/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P28~29/「重訂 宮城県郷土史年表」P506/「仙台市史 年表」P111/「仙台市史10 年表」P310/「仙台市史 特別編4 市民生活」P92/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P117~118 |
16-71、16-57、16-69/「仙台市史 特別編4 市民生活」P92(S19年、金属供出のためはがされる市電芭蕉の辻線のレール)/同P462(東裏丁公会の供出の様子、昭和17年) |
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