項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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野球場 | 県営宮城野球場(宮城球場) | 1950年(S25) | → 項目「県営宮城野球場(宮城球場)」参照 | ||
県営宮城野球場(宮城球場) | 開場 | 1950年(S25) |
宮城野原(戦前の宮城野練兵場跡)にオープン <開場式、記念のプロ野球戦試合> * 1950年(S25)5月3日、県営宮城球場グランド開き / 5月5日、観客殺到し、圧死3名、重軽症23名(「仙台市史10 年表」P323) * 1950年(S25)5月3日、開場式 / 5月5日、仙台初のプロ野球公式戦(毎日対大映、毎日対南海)(「仙台市史 年表」P116) * 1950年(S25)5月3日、球場開きの際、入場者殺到し、作ったばかりの金網の柵が倒れ、死者3人、負傷者23人という惨事(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P204、P266) * 1950年(S25)5月5日、開場式(記念試合として、毎日・大映・南海の公式試合あり)(「重訂 宮城県郷土史年表」P542) * 1951年(S26)10月25日、日米親善野球米選抜軍対巨人軍 * 1973年(S48)4月20日、照明塔6基点灯式 * 1973年(S48)5月22日、ナイター開幕 * 1974年(S49)1月、プロ野球ロッテ球団が、宮城県営野球場を本拠地とする * 1974年(S49)4月6日、東北初のプロ野球開幕試合(ロッテ対阪急) * 1977年(S52)9月13日、ロッテ球団、本拠地を川崎ヘ移す * 1985年(S60)6月18日、県営宮城球場、大改造完成 * 2004年(H16)、全面改修され、プロ野球団東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地となる(施設は宮城県が所有し、東北楽天ゴールデンイーグルスの運営法人・株式会社楽天野球団が都市公園法に基づく管理許可制度により運営管理) |
「仙台市史 年表」P116、P129/「仙台市史10 年表」P323、P326/「重訂 宮城県郷土史年表」P542/「続・ 宮城県郷土史年表」P19、P20、P71、P192/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P204、P266/「仙台あのころこのころ八十八年」P251 | 20-06、25-15、25-16 |
野球場 | 東北大学評定河原球場 | 1937年(S12) |
* 1937年(S12)、早川牧場跡に東北帝国大学のトラックと野球場が完成(佐々久「近代みやぎの歩み」P86) * 1976年(S51)4月1日、東北大学評定河原球場を市民に開放 |
佐々久「近代みやぎの歩み」P86/「続・ 宮城県郷土史年表」P53 | 「いつか見た街・人・暮らし」P38(早川牧場、大正5年) |
野球場 | 澱橋野球場 | 1930年(S5) |
* 1930年(S5)10月、澱橋野球場開設(角五郎町、澱橋わき) * 1940年(S15)5月5日、澱橋総合運動場竣工、落成式 * 澱運動場は、戦後一時、米軍(進駐軍)が接収 |
「重訂 宮城県郷土史年表」P422/「仙台市史10 年表」P298/「仙台年表」P210/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P328/「仙台あのころこのころ八十八年」P246、P248 | |
野球場 | スポーツマン球場 | 1929年(S4)~1933年(S8) |
* 1929年(S4)6月、杉村多利治氏(のちの日乃出映画劇場社長)が国分寺薬師堂北隣につくる / ライトの塀外は薬師堂の杉木立でファンは木に登って見物した * 1929年(S4)6月(7月)、スポーツマン球場設立(宮城野原南部、国分寺薬師堂北隣) * 1933年(S8)、廃止 |
「仙台市史 年表」P105/「重訂 宮城県郷土史年表」P416/「仙台あのころこのころ八十八年」P70 | |
野球場 | 八木山球場 | 1929年(S4) | → 項目「八木山球場」参照 | ||
野球場 | 東北体育協会球場 | 1923年(T12) | * 1923年(T12)5月27日、榴ヶ岡下に木造観覧席を備えた東北体育協会球場が開場(「仙台あのころこのころ八十八年」P69にダラ(糞尿)撒き騒動のエピソード記載) | 「仙台市史 年表」P101/「仙台あのころこのころ八十八年」P69 | |
野球場 | 昭和11年現在 | 昭和11年現在、仙台の野球場は、澱橋球場(収容1万人)、スポーツマン球場(収容1万人)、八木山球場(収容2万人) / (予定)東北帝国大学の球場 | 「仙台の産業と観光」(昭和11年刊)P73 |
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