項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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瞑想の松 | 歌碑建立 | 1941年(S16) |
・ 「いくたびか真昼の夢みたる高山樗牛瞑想の松」という土井晩翠の歌碑、瞑想の松の脇に建てられた * 1941年(S16)初春、「高山樗牛瞑想の松碑を萱場資郎たつ」(佐々久著「仙台の散策」) <WEBサイト 松山雄三研究報告『高山樗牛と「冥想の松」』 https://www.tohoku-mpu.ac.jp/laboratory/germany/cyogyuu.bak より> 「・ 樗牛の没後、40年近くを経て、仙台の北部、台原の丘陵の一角、一本松の根元に、樗牛を顕彰する記念碑が建立されることになった。実は、昭和15年頃に、開発(軍需工場の建設?)のために、この松の伐採計画が持ち上がる。幸いにも、心ある人々の尽力のお陰で、その伐採計画は白紙に戻され、さらに樗牛を顕彰する碑の建立が計画されたのだった。(中略) 「高山樗牛冥想の松」が「仙台市民の憧憬の松」であり続けたことが、この松の保存と記念碑建立の要因として挙げられねばならない。(中略) この「樗牛顕彰の碑」建立の記念式典は、昭和16年6月1日に挙行された。 ・ 「冥想の松保存会」は昭和17年3月に成田正毅著『高山樗牛冥想の松』と題する記念誌を発行したが、そのなかに、前年(昭和16年6月1日)に行なわれた樗牛顕彰碑建立の記念式典の式次第が掲載されている。」 |
佐々久著「仙台の散策」/WEBサイト・松山雄三研究報告『高山樗牛と「冥想の松」』 | |
樗牛瞑想の松 | ⇒「瞑想の松」参照 | 08-07、53-112 | |||
瞑想の松 | 概説 |
樗牛瞑想の松 ・ 樹齢600年以上と伝えられる赤松 ・ 明治20年代に旧制第二高等学校に在学した高山樗牛(のち、1年半ほど旧制二高教授)が、ここで瞑想にふけったといわれ、松は土井晩翠らの説得で伐採を免れたという ・ 場所は、台原天神山の東北医科薬科大学の構内 |
08-07、53-112/「新・目で見る仙台の歴史」P150に「樗牛肖像、瞑想の松) |
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