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内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
火災(地域) |
宮町方面 |
1869年(M2) |
* 1869年(M2)1月28日、北二番丁から出火し、宮町方面一帯に延焼、130戸が焼失
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「仙台市史 年表」P78
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火災(地域) |
長町 |
1871年(M4) |
* 1871年(M4)1月17日、名取郡長町で火災、69戸が焼失
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「仙台市史 年表」P79
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火災(地域) |
北山 |
1876年(M9) |
* 1876年(M9)3月5日、北山で火災、一帯が焼失し、輪王寺、資福寺、覚範寺、東昌寺、寂光寺なども類焼
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「仙台市史 年表」P81
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火災(地域) |
河原町、南小泉村 |
1877年(M10) |
* 1877年(M10)3月27日、河原町より出火し、宮城郡南小泉村に延焼し、220戸焼失
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「仙台市史 年表」P82
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火災(地域) |
長町 |
1877年(M10) |
* 1877年(M10)4月11日、名取郡長町村で火災、68戸が焼失
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「仙台市史 年表」P82
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火災(地域) |
北五十人町など |
1891年(M24) |
* 1891年(M24)5月19日、北五十人町・角五郎丁で、25戸が焼失
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「仙台市史 年表」P87
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火災(地域) |
新伝馬町北側 |
1892年(M25) |
* 1892年(M25)1月21日、新伝馬町北側で、33戸が焼失
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「仙台市史 年表」P87
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火災(地域) |
福田町 |
1902年(M35) |
* 1902年(M35)4月6日、宮城郡高砂村福田町、72戸焼失
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「仙台市史 年表」P92
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火災(地域) |
仙台駅前 |
1907年(M40) |
* 1907年(M40)4月15日、仙台駅前で24戸焼失
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「仙台市史 年表」P94
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火災(地域) |
小田原遊郭 |
1910年(M43) |
* 1910年(M43)1月24日、小田原遊郭全体の四分の一にあたる30戸が焼失
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「仙台市史 年表」P95
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火災(地域) |
南町大火 |
1919年(T8) |
* 1919年(T8)3月2日未明、南町「電話横丁」北側から出火、折からの強風で南町から東二番丁まで燃えひろがり、12ケ町を焼き払って午前7時半鎮火、明治以降最大の出火災害となった / 仙台郵便局・電話交換局・東北学院中学部校舎・芭蕉館・横浜火災を含む700余戸余が焼失(「仙台市史 続編第1巻」P363では、焼失698戸 / 「仙台あのころこのころ八十八年」P243では707戸焼失) / この大火で南町は拡幅され大通りとなった
* 1927年(S2)、火災地の道路改修、8年がかりの区画整理工事完了
(良覚院丁、南町、南町通、柳町、柳町通、北目町、北目町通、東一番丁の各町内の、全部または一部) / 東一番丁は大町角の藤崎以南が拡幅され、通称「大通り」となった
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「目で見る仙台の歴史」P156/「仙台市史 年表」P98 / 「絵葉書で綴る大正・昭和前期の仙台」P107/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P363~364/「番丁詳伝」P166
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「絵葉書で綴る大正・昭和前期の仙台」P106~107の写真/「目で見る仙台の歴史」P156に「南町大火の焼け跡」
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火災(地域) |
東一番丁大火 |
1933年(S8) |
<仙集館と東一番丁大火>
* 1933年(S8)3月20日早暁、東一番丁の活動写真館仙集館付近より出火し、52戸を焼く
* 仙集館→白崎写真館へ延焼→飛び火して、新国町界隈→国分町へ(51戸焼失、罹災戸数35)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P434/「仙台年表」P232/「番丁詳伝」P131
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火災(地域) |
長町八本松 |
1940年(S15) |
* 1940年(S15)5月23日、長町八本松で30戸全焼
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「仙台市史10 年表」P298
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火災(地域) |
中央マーケット |
1948年(S23)/1961年(S36) |
* 1948年(S23)2月10日、東一番丁中央市場で火災、95戸焼失
* 1948年(S23)5月27日、東一番丁仙台中央市場、72戸焼失
* 1961年(S36)12月25日、東一番丁中央市場で、3棟焼失
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818
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火災(地域) |
国分町虎屋横丁 |
1948年(S23) |
* 1948年(S23)10月2日、国分町虎屋横丁13戸焼失
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「仙台市史10 年表」P319
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火災(地域) |
仙台駅前(駅前マーケット) |
1949年(S24)/1953年(S28) |
* 1949年(S24)3月16日、仙台駅前の裏五番丁に火災あり、46戸全焼
* 1949年(S24)3月16日、仙台駅前マーケット、46戸焼失
* 1953年(S28)1月7日、仙台駅前百貨商店街火事、8棟46戸全半焼
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818/「仙台市史 年表」P116/「重訂 宮城県郷土史年表」P534/「仙台年表」P226
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火災(地域) |
東一マーケット |
1951年(S26) |
* 1951年(S26)2月5日、東一番丁火事(午後1:40頃)により、東一マーケットに延焼 / 17戸全焼
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818
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火災(地域) |
二日町大火 |
1951年(S26) |
* 1951年(S26)4月22日、二日町から出火、二日町、国分町、表小路、跡付丁を含む89世帯、被災者403人、飛び火で宮城県宮黒地方事務所も焼失(「仙台市史 続編第1巻」P820~821)
* 1951年(S26)4月22日、仙台市二日町より出火、大火となり付近一帯の94戸全焼、4戸半焼」(「仙台市史10 年表」P325)
* 1951年(S26)4月22日、二日町より出火し、80戸、12棟を焼失す」(「重訂 宮城県郷土史年表」P549)
/「仙台年表」では、93戸全焼,3戸半焼、405名被災
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P820~821/「仙台市史10 年表」P325/「仙台市史 年表」P117/「重訂 宮城県郷土史年表」P549/「仙台年表」P221
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40-01、40-02/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P820の写真197(焼けた宮黒地方事務所)/「市民の戦後史(仙台市)」P64(市役所付近の焼け跡)
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火災(地域) |
南町通りの仙台銀座マーケット |
1952年(S27) |
・ 戦前に東二番丁・南町通り交差点の南東角にあった仙台逓信局が、仙台空襲(S20年7月10日)で焼失し、戦後その焼け跡に通称「仙台銀座」(木造6棟の商店街、建坪3000坪)ができた / 防火壁がなく、火災保険では「禁止物件」に指定されていた
<火災で焼失>
* 1952年(S27)1月22日午後0時20分頃出火、通称「仙台銀座」の通称1~8丁目まで145戸のうち、東二番丁通りに面した棟と南側の棟を残してほどんど全焼し、さらに隣接の店舗、倉庫などに延焼し、計19棟106戸焼失して午後2時半頃鎮火、木造モルタル建物大小6棟がつなぎ合わされたマーケット形態の建物なので、延焼が非常に速かった(「宮城県百科事典」P575) / 「仙台年表」では、7棟110戸全焼、被災者450名(東二番丁仙台銀座内美術館から出火) / 「仙台市史10 年表」では、東二番丁仙台銀座大火240戸焼失 / 「重訂 宮城県郷土史年表」では、南町通銀座に大火、百貨店など140戸焼失 / 原因は電気ゴタツ / 「仙台市史第2巻本編2」P717~718に、詳細な経過、隣接する12棟類焼(宮城燃料や加藤商店の木炭倉庫、大睦建設木工場、長尾病院など)、被災者の避難所、食品衣類寝具などの救援内容を記載
* 1955年(S30)2月20日、東二番丁側に残っていた14棟68世帯(約4000㎡)も焼失(東二番丁の拡幅工事予定地だったのでこれを機に拡幅工事を強行)(「仙台市史 続編第1巻」P349、P782)
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「宮城県百科事典」P575/「仙台市史第2巻本編2」P717~718/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P349、P782、P808/「仙台市史 年表」P117/「仙台年表」P223/「仙台市史10 年表」P327/「重訂 宮城県郷土史年表」P554/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P167
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「宮城県百科事典」P575(S27年の火災)/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P782に、昭和30年の仙台銀座の火災写真/「市民の戦後史(仙台市)」P88(S30年2月の仙台銀座火災)
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火災(地域) |
川内追廻 |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)3月13日、川内追廻住宅地(おいまわし)に火災、49戸焼失
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「重訂 宮城県郷土史年表」P595
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火災(地域) |
東部飲食店街 |
1970年(S45) |
* 1970年(S45)7月10日、アパートなど10棟2500㎡焼失、37世帯94人被災
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「重訂 宮城県郷土史年表」P659
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火災(地域) |
ジャンジャン横丁 |
1972年(S47) |
* 1972年(S47)11月8日、中央1丁目のジャンジャン横丁で火災、7店焼失
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「続・ 宮城県郷土史年表」P15
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