仙台よみとき用語年表
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東北学院榴ケ岡高校 榴ケ岡に高校分校/東北学院榴ケ岡高等学校  1959年(S34)/1972年(S47)  * 1959年(S34)4月、高等学校榴ケ岡校舎を開設(高校生急増対策として県市の要望もあり、榴ヶ岡に男子部の高校分校を設置)
* 1972年(S47)4月、榴ケ岡校舎が独立して東北学院榴ケ岡高等学校となり、8月に泉市市名坂に移転 
「重訂 宮城県郷土史年表」P592/「東北学院」HP/「東北学院榴ケ岡高等学校」HP   
東北学院大学大学院 設置  1964年(S39)  <大学院>
* 1964年(S39)、大学院文学研究科(修士課程)を設置
* 1965年(S40)、大学院経済学研究科(修士課程)設置
 
~ 以降、1971年(S46)~2015年(H27)の間に、大学院では以下の研究科が新設、改称されているが、設置年、改称年などは、「東北学院大学」HPの「大学のあゆみ」参照 ~
文学研究科(博士課程)、工学研究科(修士課程、博士課程)、経済学研究科(博士課程)、法学研究科(修士課程、博士課程)、工学研究科土木工学専攻(修士課程、博士課程)、人間情報学研究科人間情報学専攻(修士課程、博士課程)、文学研究科にヨーロッパ文化史専攻とアジア文化史専攻(修士課程、博士課程)、経済学研究科に経営学専攻(修士課程)、工学研究科電子工学専攻(修士課程、博士課程)、同土木工学専攻を同環境建設工学専攻に改称

* 1966年(S41)7月27日、大学院のヒマラヤ・ヒンズークシ登山隊、登頂成功(世界で2番目)

<法科大学院>
* 2004年(H16)大学院法務研究科法実務専攻(法科大学)を設置/H26,学生募集停止/H28年、法科大学院を廃止 
東北学院大学HP/「重訂 宮城県郷土史年表」P627/   
東北学院大学 開校  1949年(S24)  <前身の専門学校>
* 1946年(S21)4月、東北学院専門学校(英文科・経済科)および同二部を設置 / 1951年(S26)、廃止

<大学に昇格>
* 1949年(S24)4月1日、東北学院大学、南六軒丁で開校(英文、経済の2科)
* 1959年(S34)、文経学部二部を設置
* 1962年(S37)、工学部(機械工学科・電気工学科・応用物理学科)を多賀城市旭ヶ丘に新設
* 1964年(S39)、文経学部を文学部一部(英文学科・基督教学科・史学科)、同二部(英文学科)、経済学部一部(経済学科・商学科)、同二部(経済学科)に分離。
* 1965年(S40)、法学部を設置
* 1966年(S41)9月、東北学院大学登山隊がヒマラヤ・パンダコール登頂成功
* 1986年(S61)、創立100周年記念式典を挙行。
* 1988年(S63)、文・経済・法学部の教養課程を泉キャンパスに移転
* 1989年(H1)、教養学部(教養学科人間科学専攻・言語科学専攻・情報科学専攻)を泉キャンパスに新設

~以降の大学学部内の学科および専攻の新設、名称変更、廃止などは、「東北学院大学」HPの「大学のあゆみ」参照~

<短期大学>
* 1950年(S25)、東北学院大学短期大学部併置(2年制、英文科と経済科)
* 1959年(S34)、短期大学部を東北学院大学文経学部二部(英文学科・経済学科)に改組 
東北学院大学HP/「東北学院創立七十年写真誌」末尾年表/「仙台市史 年表」P116/「続・ 宮城県郷土史年表」P212、P241/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P536~538  「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P537/「市民の戦後史(仙台市)」P187(パンダコール登頂隊への寄書き日の丸)/「新・目で見る仙台の歴史」P142(東北学院大学泉キャンパス) 
東北学院中学部 南町時代(普通科)  1895年(M28)  <南町>
* 1895年(M28)、予科、本科を改組し、普通科5年、その上に専修科(文科、理科)2年、さらにその上に神学部3年を置く 
「東北学院創立七十周年写真誌」P11~12  「東北学院創立七十周年写真誌」P11の写真 
東北学院中学部 東二番丁時代(普通科→中学部)  1905年(M38) 
<東二番丁・初代校舎>
* 1905年(M38)、東二番丁に「普通科」校舎、竣工
  ・木骨レンガ造り2階建て、スレート葺き屋根
  ・屋根面にトーマー・ウィンドウ(屋根窓) 
* 1915年(T4)、「普通科」を「中学部」と改称
* 1919年(T8)3月、中学部校舎、南町大火で焼失
* 1919年(T8)9月、バラック建て仮校舎落成
 
「東北学院創立七十年写真誌」P22~23、P30 /「明治の洋風建築-宮城県-」P66「東北学院中学部」  99-069/東北学院創立七十年写真誌」P22~23、P30の写真/「仙台市史 特別編4 市民生活」P138 
東北学院中学部 東二番丁(赤レンガ校舎)
 
1922年(T11)
 
<東二番丁・再建校舎=赤レンガ校舎>
・ 南町大火で焼失した東二番丁の旧校舎の跡地に再建
・ 鉄筋コンクリートレンガ張り(通称「赤レンガ校舎」)
・ 正面入り口に「LIFE LIGHT LOVE」が掲げられている

* 1922年(T11)6月、新校舎建築(赤レンガ校舎)
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で被災(外観は残る)

<名称変更>
* 1943年(S18)、中学部→中学校 
「東北学院創立七十年写真誌」P32~35 /「東北学院」HP  「東北学院創立七十年写真誌」P33~35、P44、P60の写真  
東北学院中学校・高等学校 東二番丁(戦後)  1945年(S20)~2005年(H17)  <中学部>
* 赤レンガ校舎継続使用

<東二番丁・戦後 新制中学校・高等学校>
* 1947年(S22)4月、(新制)東北学院中学校発足
* 1948年(S23)4月、(新制)東北学院高等学校が発足
* 1949年(S24)、中学校木造校舎6教室落成

<鉄筋コンクリート校舎>
* 1951年(S26)、高・中学校理科教室3階建て落成
* 1955年(S30)、中学校校舎鉄筋コンクリート造3階建9教室完成
* 1958年(S33)4月、中学校赤レンガ校舎は都市計画により9教室を失う(戦後の東二番丁通り拡幅に伴い、赤レンガ校舎の一部(東側部分)が道路拡幅部分にかかるため、取壊された)
* 1958年(S33)4月、中学校・高等学校鉄筋コンクリート造4階建8教室完成

<新校舎と礼拝堂>
* 1970年(S45)11月、中学校・高等学校新校舎、礼拝堂完成

<赤レンガ校舎にお別れ>
* 1978年(S53)6月、中・高校の赤レンガ校舎、宮城県沖地震のため一部倒壊
* 1979年(S54)3月8日、中・高校の赤レンガ校舎見送り式(取壊し)
* 1979年(S54)4月、中学校校舎の礎石から、明治・大正のタイムカプセル発見

<シュネーダー記念館>
* 1980年(S55)3月5日、中学校・高等学校構内に、シュネーダー記念館完成

<中学校・高等学校移転>
* 2005年(H17)1月、東二番丁→宮城野区小鶴へ移転 
「東北学院」HP/「東北学院創立七十年写真誌」末尾年表P70/「続・ 宮城県郷土史年表」P93/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P349/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P512~513  赤レンガ校舎は36-0336-06(S24完成木造校舎、S26年とS30年完成のコンクリート校舎も写る) 
東北学院中学校・高等学校 宮城野区小鶴に移転  2005年(H17)  <中学校・高等学校移転 東二番丁→小鶴>
* 2005年(H17)1月、中学校・高等学校新校舎完成(仙台市宮城野区小鶴) 
「東北学院」HP   
東北学院(沿革) 戦前期  1891年(M24)~1945年(S20)夏  <東北学院>
* 1891年(M24)9月11日、東二番丁南町通角に仙台神学校新校舎(赤煉瓦造2階建スレート屋根、方形五層の塔および円錐形スレート屋根の円塔、城郭風ゴシック建築)が完成 / 仙台神学校、その年に校名を「東北学院」と改称し、予科2年・本科4年・神学部3年とする
* 1895年(M28)、予科、本科を改組し、普通科5年、その上に専修科(文科、理科)2年、さらにその上に神学部3年を置く

<仙台日本基督教会→東二番丁教会→東一番丁教会>(「番丁詳伝」P193)
* 1902年(M34)10月、仙台日本基督教会献堂式挙行(東二番丁南町通角・仙台神学校校舎に隣接、木骨赤レンガ造り、壁柱と窓縁は御影石、スレート葺きで中央に方形の塔、ドイツ人リチャード・シール設計)
* 1931年(S6)、東二番丁教会と改称、S20年仙台空襲で焼失
* 1951年(S26)5月、敷地を三馬弘進ゴムに売却し道場小路(現・一番町1丁目)に移転、
* 1953年(S28)、献堂式を行い東一番丁教会と改称
* 1955年(S55)、パイプオルガン設置

<東北学院>
* 1904年(M37)、全校を普通科(5年)と専門学校令による専門科(3年)とに分け、専門科に文学部と神学部とを置く
* 1905年(M38)、専門科を専門部とし、文学部を文科、神学部を神学科と改称 / 東二番丁に普通科校舎完成。
* 1915年(T4)5月、普通科を中学部と改称(生徒数357名)
* 1918年(T7)、専門部を改組、神学科・文科・師範科・商科とする
* 1919年(T8)3月、南町大火のため中学部校舎(東二番丁)全焼
* 1922年(T11)6月、中学部校舎再建(東二番丁・通称赤レンガ校舎)  
* 1925年(T14)、神学科を専門部より分離し、神学部(第一科・第二科)とする。専門部は文科、師範科、商科となる
* 1926年(T15)、専門部校舎落成(南六軒丁)~設計:横浜のモルガン、建築:新田工務店、鉄筋コンクリート3階建~
* 1929年(S4)、専門部を高等学部と改称
* 1932年(S7)3月19日、ラーハウザー礼拝堂献堂式(南六軒丁) / シャンデリア、スチーム、鉄柵などは戦時に供出
* 1937年(S12)、神学部廃止(東京日本神学校と合同)
* 1940年(S15)5月、南町通旧神学部校舎および敷地を日産株式会社に売却
* 1943年(S18)、中学部を中学校と改称
* 1944年(S19)、航空工業専門学校設置(S20年12月、工業専門学校と改称、S22年廃止)
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で、校舎の大半を失う 
「目で見る仙台の歴史」P122、P164/「東北学院創立七十周年写真誌」P11、P36、P65~P69/東北学院HP
/「仙台市史 年表」P84、P85、P87、P91/「仙台市史10 年表」P268、P278/「番丁詳伝」P193 
「新・目で見る仙台の歴史」P139(仙台神学校)/「東北学院創立七十周年写真誌」P11とP50に、南町通の仙台神学校校舎、P11に同玄関と講堂内景/「目で見る仙台の歴史」P112に南町通りの仙台神学校(東北学院神学部)/同P149に「専門部校舎(大正15年)」/99-068(神学部校舎)、43-30(神学部校舎と東二番丁教会)/「目で見る仙台の歴史」P138と「市民の戦後史(仙台市)」P23に、「日本基督教会」/目で見る仙台の歴史」P164に「ラーハウザー礼拝堂」/「仙台市史 特別編4 市民生活」P124(日本基督教会堂) 
東北学院(沿革) 戦後期  1945年(S20)夏以降  * 1945年(S20)12月、東北学院航空工業専門学校を、工業専門学校と改称(S22年に廃止)

* 1946年(S21)4月、東北学院専門学校(英文科・経済科)を設置
* 1947年(S22)4月、新制中学校設置
* 1948年(S23)4月、新制高等学校設置
* 1949年(S24)、東北学院専門学校が昇格し東北学院大学(文経学部)に
* 1951年(S26)3月31日、東北学院専門学校廃止

* 1953年(S28)5月14日、南六軒丁にシュネーダー記念図書館竣工し献堂式(鉄筋コンクリート造3階建、書庫5階建)
* 1959年(S34)4月、榴岡に男子部の高校分校を設置
* 1972年(S47)7月、榴ヶ岡高校新校舎完成
* 1980年(S55)3月5日、中学校・高等学校構内(東二番丁)に、シュネーダー記念館完成
* 1986年(S61)10月1日、東北学院大学、泉キャンパス新校舎起工式
* 2005年(H17)1月、中学校・高等学校、宮城野区小鶴に新校舎完成し、東二番丁から移転 
「東北学院創立七十周年写真誌」P69、P70/東北学院HP
/「仙台市史 年表」P116/「仙台市史10 年表」P320、P323/「重訂 宮城県郷土史年表」P534、P548、P564、P592/「続・ 宮城県郷土史年表」P12、P212/Wikipedia「東北学院大学短期大学部」 
シュネーダー記念図書館(南六軒丁)は、「東北学院創立七十周年写真誌」P63と、「目で見る仙台の歴史」P180 
東北学院(教会) 仙台日本基督教会  1901年(M34)~  南町通り(東二番丁通り北西角)にあり、赤レンガの「東北学院神学部校舎」に隣接していた
 
* 1881年(M14)5月、「仙台教会」、プロテスタント日本基督公会の押川方義らが国分町に設立
* 1901年(M34)、仙台教会が「仙台日本基督教会」献堂式挙行
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で焼失 
「東北学院創立七十周年写真誌」末尾年表P66  43-30/「目で見る仙台の歴史」P138に、日本基督教会堂」 
東北学院(専門科/専門部/高等学部)   1904年(M37)~1944年(S19)  <専門部の校舎>
・ 大正11年9月、南町通り→東二番丁の仮校舎へ(中学部の)
・ 大正15年9月、東二番丁仮校舎→南六軒丁の新校舎へ

<専門科→専門部>
* 1904年(M37)、全校を普通科(5年)と専門学校令による専門科(3年)とに分け、専門科に文学部と神学部とを置く
* 1905年(M38)、専門科を専門部と改称(文学部を文科、神学部を神学科と改称)
* 1925年(T14)、神学科を専門部より分離し、神学部(第一科・第二科)とする。専門部は文科、師範科、商科となる

<土樋キャンパス(南六軒丁)>
* 1926年(T15)、南六軒丁に専門部校舎完成(のちの土樋本館)、9月より使用 / 鉄筋コンクリート3階建

<専門部→高等学部>
* 1929年(S4)、専門部を高等学部と改称
* 1932年(S7)3月19日、礼拝堂献堂式、高等学部の講堂落成式
* 1942年(S17)9月、高等学部の文科と師範科廃止
* 1943年(S18)、高等学部商科を高等商業部と改称(S20年に廃止)

<航空工業専門学校>
* 1944年(S19)、航空工業専門学校設置 
「東北学院創立七十年写真誌」末尾年表  「目で見る仙台の歴史」P149と「東北学院創立三十年写真誌」P37に、「専門部校舎(大正15年竣工)」 
東北学院 参考資料    <参考資料>
 ・ 東北学院の沿革は、「東北学院」HPの「沿革」
 ・ 「東北学院創立七十周年写真誌」P65~P70の「年表 1886年(M19)~1955年(S30)」
 ・ 「同写真誌」末尾の「年表略図 1886年(M19)~1955年(S30)」

<参照>
 ・ 東北学院の総合的な沿革は、→項目「東北学院(沿革)」
 ・ 部門別には 
   → 項目「東北学院中学部」
   → 項目「東北学院中学校・高等学校」
   → 項目「東北学院(専門科/専門部/高等学部)」
   → 項目「東北学院大学」 
   
東北学院 基督教講義所/仙台神学校  1880年(M13)/1886年(M19)  <前身の仙台神学校>
* 1880年(M13)10月10日、押川方義、北三番丁木町通角、下(しも)きく宅に「基督教講義所」開設
* 1881年(M14)5月1日、押川方義と吉田亀太郎により「仙台教会」(国分町1丁目の山下方に)創立(東北初のプロテスタント系教会)
* 1886年(M19)5月、押川方義とウィリアム・H・ホーイが木町通北六番丁に「仙台神学校」を開校
* 1887年(M20)5月、東二番丁南町通北西角の本願寺別院跡を取得し、仙台教会と仙台神学校をここへ移す(別院本堂を教会堂に、塀長屋を神学校校舎兼寄宿舎に) 
「東北学院」HPの「沿革」/「東北学院創立七十周年写真誌」P9/「番丁詳伝」P192  「目で見る仙台の歴史」P122に、明治14年創立の「仙台教会」/「東北学院創立七十周年写真誌」P9に、本願寺別院本堂/「仙台市史 特別編4 市民生活」P251(M19年頃、神学校発足当時のホーイと押川、教師と生徒たち) 

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仙台ショーハウス
仙台商業会議所/仙台商工会議所
仙台城二の丸焼失
仙台庶民金庫
仙台市立病院
仙台市歴史民俗資料館
仙台信用金庫
仙台スタジアム
仙台赤十字病院
仙台専売支局
仙台専門店会
仙台七夕
仙台鎮台
仙台鉄道管理局
仙台電報局
仙台東部道路
仙台東宝劇場
仙台トラック輸送センター
仙台南部道路
仙台西道路
仙台の裁判所
仙台バイパス
SENDAI光のページェント
仙台美術館
仙台平
仙台フィルハーモニー管弦楽団
仙台復興祭グランドフェア
仙台物産陳列所
仙台北部道路
仙台ホテル
仙台陸奥館
仙台郵便貯金会館
仙台臨海鉄道
戦没者遺骨調査・収集
戦没者慰霊
創価学会会館
総進軍大会
体育館
体外受精
大学・短大
大学紛争
大政翼賛会/新体制/公会/報国会
第二高等学校(旧制)
第二師団
第二師団凱旋記念満蒙軍事博覧会
第十三師団
第三十三師団
第四十二師団
大日本国防婦人会
大日本婦人会
大日本連合婦人会
台原森林公園
台風被害(戦後)
多賀城跡
高橋是清
タクシー
宅地造成ブーム
竹槍訓練
立町小学校
谷風の墓所
多門師団凱旋
多門通り
男女共学
地価狂乱
乳銀杏
ちびっこ広場
駐留軍(米軍)
彫刻のあるまちづくり事業
鳥獣特別保護区
朝鮮館
朝鮮人移入労働者
朝鮮戦争
樗牛瞑想の松
チリ地震津波
榴ケ岡公園
堤人形
ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン
デイケアー
貞山運河(貞山堀)
逓信関連
停電
出稼ぎ者相談所
テレトピア構想
テレビアンラジオ
テレフォンカード
電気開始(仙台)
電球
電信開始(仙台)
天神社
伝染病流行
伝統町名保存
天皇、仙台行幸
電力ホール
電話
電話開始(仙台)
土井晩翠
東一マーケットと中央マーケット
洞雲寺
灯火管制
東京オリンピック(昭和)
東照宮(仙台)
東部復興道路
同胞援護会
東邦生命ビル
東北学院
東北産業博覧会
東北自動車道
東北新幹線
東北振興/農村更生
東北大学
東北大学病院
東北鎮台 →仙台鎮台 →第二師団
東北帝国大学
東北電力
東北本線
東北楽天ゴールデンイーグルス
東北歴史資料館
東北六魂祭
東北絆まつり
遠見塚古墳
特別調達庁
都市型CATV
特急はつかり
特急ひばり
トラックターミナル
名掛丁商店街
仲の瀬橋(広瀬川)
長町駅
奈良原式鳳号
西内楽器店
西公園(桜ケ岡公園)
西本願寺別院(東一番丁)
二十人町
日米野球
ニッカウイスキー工場
日本銀行
日本生命館
日本鉄道
日本農民組合
ネオンサイン
年賀郵便
年中行事(まつり)
乗合馬車
敗戦後の諸相・仙台
廃藩置県(仙台県誕生)
バカンス(流行語)
爆弾三勇士の歌
博覧会・フェア
芭蕉の辻
芭蕉の辻商館
芭蕉の辻の城櫓風建物
芭蕉の辻の洋館
バス
バスプール
バス優先レーン
支倉常長(記念碑/銅像)
発電事業
パテー館
花火大会
針久旅館支店(仙台駅前)
ハリストス正教会堂
藩祖政宗公三百年祭
藩祖政宗公の記念祭
東一番丁(商店街)
東一番丁大火
東一番丁百年祭大仮装行列
東二番丁尋常小学校
東二番丁通り(拡幅)
東日本大震災
光ヶ丘天使園
飛行船「雄飛号」
飛行大会
ひとにやさしいまちづくり条例
ヒトラーユーゲント一行が来県
日乃出映画劇場
ひらつか(東一番丁)
ビル建設
広瀬川の清流を守る条例
広瀬通り
広瀬橋(広瀬川)
プール
フェリー
俯瞰撮影禁止など
福祉ボランティアのまちづくり事業
富国生命館(国分町)
藤崎
フジビール
婦人参政権獲得運動
婦人の社会活動(戦後・仙台)
婦人標準服
普通選挙要求運動
物価上昇
二日町大火
復興盆踊り
仏舎利塔
ブラザー軒
文化キネマ/文化劇場/仙台松竹映画劇場
文学碑など(仙台)
文化勲章
文化財指定
文化横丁
兵役制度
米軍進駐
兵事義会/銃後奉公会
ベガルタ仙台
ペデストリアンデッキ
ヘレンケラー女史
奉安殿
防空演習
ポケットベル
歩行者天国(東一番丁)
ホテル
歩兵第4連隊
歩兵第104連隊
本土決戦体制
政宗卿騎馬像
政宗卿平服像
松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場
松島パークホテル
松永正敏中将
松原街道
マナスル登頂成功
丸光
満年齢
満蒙開拓
右側通行
水の森スケート場
三越(仙台店)
緑と花いっぱい運動
緑の団地条例
南町大火
南町通り(多門通り)
三原時計店
宮城学院
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宮城県沖地震
宮城県会議事堂(明治時代)
宮城県旗の図案
宮城県弘報誌「みやぎ」
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