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内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
映画館(戦前・戦後) |
松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場 |
1885年(M18)~ |
→ 項目「松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場」参照
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映画館(戦前) |
仙集館 |
1909年(M42)~1933年(S8) |
→ 項目「仙集館」参照
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映画館(戦前・戦後) |
仙台東宝劇場 |
1922年(T11)~ |
→ 項目「仙台東宝劇場」参照
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映画館(戦前・戦後) |
文化キネマ/文化劇場/仙台松竹映画劇場 |
1925年(T14)~戦後 |
→ 項目「文化キネマ/文化劇場/仙台松竹映画劇場」参照
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映画館(戦前・戦後) |
日乃出映画劇場 |
1935年(S10)~ |
→ 項目「日乃出映画劇場」参照
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映画館(戦後) |
青葉劇場 |
1945年(S20) |
* 1945年(S20)10月8日、東七番丁に開設(9~10日は、戦災市民無料招待)
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「仙台年表」P208/「仙台市史10 年表」P324/「重訂 宮城県郷土史年表」P549
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映画館(戦後) |
錦映画館 |
1945年(S20) |
* 1945年(S20)12月、錦町21に開設(480席)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P508
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映画館(戦後) |
東北劇場 |
1945年(S20) |
* 1945年(S20)12月、本櫓町51に開設(700席)
* 1979年(S54)4月13日、立町の東北劇場焼失
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「重訂 宮城県郷土史年表」P508/「続・ 宮城県郷土史年表」P94
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「市民の戦後史(仙台市)」P42(NHKのど自慢会場の看板あり)
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映画館(戦後) |
第一映画劇場 |
1945年(S20)? |
* 1945年(S20)1月、開設(北日本興業、500席)
・ 昭和22年1月1日仙台市内映画館上映一覧に第一劇場「ターザンの猛襲」あり(「仙台市史 続編第2巻」P254)
<編者注> 太平洋戦争末期に、映画館開設は考えにくが・・・?
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「重訂 宮城県郷土史年表」P503
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映画館(戦後) |
松竹映画劇場 |
1946年(S21) |
* 1946年(S21)4月、南町通12に開設(560席)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P510
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映画館(戦後) |
南街映画劇場 |
1946年(S21) |
* 1946年(S21)、舟丁64に開設(460席)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P515
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映画館(戦後) |
中央劇場 |
1946年(S21)3月 |
東一番丁大通り(東一番丁84)に戦後できた映画館(700席、昭和映画)
* 「仙台映画大全集」では、S21年3月28日開場
* 「番丁詳伝」P211でも、S21年開場(洋画専門、のち日活、松竹、東映、新東宝の封切館となる / 跡地は「中央ビル」で地下に飲食、1階にそうご電気、6階まで事務所など入居
・ 昭和22年1月1日仙台市内映画館上映一覧に中央劇場「ターザンの猛襲」あり(「仙台市史 続編第2巻」P254)
* 「重訂 宮城県郷土史年表」P522では、S22年11月開場
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「仙台映画大全集」P454とP458/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P254/「重訂 宮城県郷土史年表」P522
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44-29 /「仙台映画大全集」P455に中央劇場と周辺の写真あり
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映画館(戦後) |
公園劇場 |
1947年(S22) |
* 1947年(S22)1月、鉄砲町5に開設(350席)
* 1975年(S50)3月16日、全焼
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「重訂 宮城県郷土史年表」P516
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映画館(戦後) |
仙台劇場 |
1950年(S25) |
* 1950年(S25)12月、東三番丁40に開設(大映、888席) / 「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P198では、場所は定禅寺通・櫓町
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「重訂 宮城県郷土史年表」P546/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P198
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映画館(戦後) |
銀映画劇場 |
1950年(S25) |
* 1950年(S25)12月、旅籠町に開設(200席)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P546
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映画館(戦後) |
仙都劇場 |
1950年(S25) |
* 1950年(S25)12月25日、仙都劇場開館
場所は、青葉通りの東三番丁交差点の東北角(東三番丁40)
開館は、戦後新設された青葉通りが貫通した年
「仙台映画大全集」の記述 →「大映封切館で、1階~2階までスロープ状に888席あり、ゆったりとしていた」
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「重訂 宮城県郷土史年表」P546/「仙台映画大全集」
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53-83(夜景)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P23(S33)
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映画館(戦後) |
連坊映画劇場 |
1953年(S28) |
* 1953年(S28)2月、連坊小路61に開設(双葉興行、200席)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P561
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映画館(戦後) |
仙台東映 |
1956年(S31) |
<Wikipedia「仙台東映」沿革 および「仙台映画大全集」P458より>
* 1948年(S23)7月3日、東一番町29(現在の広瀬通り一番町南東角)に開業した「公共会館」(文化教室、実演劇場)が前身で、主に演劇を上演していた
* わずか半年後の1949年(S24)1月29日に「国際劇場」と改称し東映封切館となる
* その後、1954年(S29)2月3日に「仙台新東宝映画劇場」となり、新東宝の封切館として再出発するも、ビル建て替えのため閉館
(「番丁詳伝」P218では、S29年仙台新東映映画劇場として衣替えし、さらに31年秋にビルを建て直し、地下を東映パラス、1階を東映劇場とし表通りには東映シューズ、コセキ、洋服はコンノが出店)
* 1956年(S31)9月、東映の直営館として再建され、「仙台東映」(邦画系)「仙台東映パラス」(洋画系)となった
* 1994年(H6)6月11日、現在地に飲食店などの商業施設を含んだビル「仙台東映プラザ」がオープン。同ビルの6階に「仙台東映」「仙台メルローズ」が入り、新たなスタート
* 2001年(H13)以降、市内に開業したシネマコンプレックスの影響で次第に業績が低下
* 2005年(H17)4月15日、閉館し、「公共会館」時代から数えて57年の歴史に幕を下ろした。跡地は料亭「寧々家」、居酒屋「いろはにほへと」となった
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「仙台映画大全集」P458/Wikipedia「仙台東映」〈2020年7月13日版)/「番丁詳伝」P218
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201-45、201-43 /「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P40(S33年、空撮)、P50(S34年)
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映画館(戦後) |
南日乃出劇場 |
1974年(S49) |
* 1974年(S49)11月、長町1丁目にオープン
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「続・ 宮城県郷土史年表」P34
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映画館(戦前) |
仙台の映画館一覧 |
大正末期~昭和初期
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・ 東一番丁(北部) 森徳座(昭和6年閉館)
・ 東一番丁(中央部) 日活パテー館
同 仙集館(昭和8年閉館)
・ 東一番丁(文化横丁) 文化キネマ
・ 東三番丁 読売会館(洋画中心)
→項目「仙台東宝劇場」参照
・ 国分町 世界館(大正3年4月開館、
その後日本館、帝国館、キネマ館
と改称、大正11年5月に電気館
・ 河原町 第二パテー館
・ 南鍛冶町 栄楽館(第二仙集館)
・ 長町 長町劇場(昭和3年開場)
無声映画時代の弁士
「番丁詳伝」P113に、大正末期~昭和にかけ活躍した、各映画館(仙集館、日活松島座、文化キネマ、世界館、パテー館)の弁士名が記載されている
入場料(昭和4~5年頃) 大人一人、20~30銭
(かけそば、ゴールデンバット(たばこ)が5銭、火鉢や座布団の賃料が5銭)
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「番丁詳伝」P108、P112~113/「東一番丁物語り」(柴田量平著)P236
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映画館(戦前) |
森徳座 |
明治時代~1931年(S6) |
→ 項目「森徳座」参照
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映画館(戦前) |
仙台の映画館と劇場一覧 |
昭和11年頃 |
<映画館>
・ 東一番丁(中央部) 日活館(日活契約、椅子席)
・ 同(日の出横丁) 日乃出映画劇場(P.C.L特約、椅子席)
・ 東一番丁(南部) 文化キネマ(松竹特約、椅子席)
・ 東三番丁 読売会館(新興契約)
・ 河原町 (第二)パテー館(大都契約)
・ 国分町 世界館(大都特約)
・ その他 公園館(大都特約)
廣瀨座(新興契約)
<このころから、映画に対する統制が強まる>
・ 1934年(S9)、内務省、映画統制委員会を中央に設置 / 映画は国策の一環に組み入れられ制約をうけてゆく
・ 1936年(S11)夏、これまで自由配給されていた欧米映画に対する干渉が高まり、検閲が苛烈になってゆく
<劇場>
・ 仙台歌舞伎座(国分町、大正9年開座、収容力1200)→ 項目「仙台歌舞伎座」参照
・ 仙台座(南町通・東四番丁角、明治23年開座、収容力1800) → 項目「仙台座」参照
・ 東一館(収容力500 / 東一番丁、大正6年開業)
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「仙台の産業と観光」(昭和11年刊)P72/「仙台市史 特別編4 市民生活」P352(東一館の開業年)
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