項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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仙台簡易保険局/仙台地方簡易保険局 | 開局 | 1936年(S11)/1949年(S24) |
* 1936年(S11)4月、北一番丁(現・上杉3丁目)に「仙台簡易保険支局」が開局 / 同年2月に鉄筋コンクリート4階建て庁舎建設(当時は東北地方随一の大ビルディング) <戦後、米軍が接収> * 1945年(S20)9月、進駐軍が接収 / 敗戦後は、関東以北の占領に責任を持つ進駐軍(米軍)の軍団司令部が仙台におかれたが、占領の中枢機能を置くため、簡易保険支局庁舎を接収 / のちに米軍病院(172ステーション・ホスピタル)として使用 / 病院は1950年(S25)からの朝鮮戦争で負傷した兵士で満杯になり、多い時には250病床に500人以上が入院し、廊下までベッドが置かれた / 戦死した遺体を本国に送る前にここできれいにする作業を日本人医師が高額の報酬で手伝った(「戦争のころ 仙台、宮城」P245) <接収中は移転し業務> * 簡易保険局は市内の学校(8校)に分散、その後に原町安養寺下の元陸軍造兵廠仙台出張所跡に移転 * 1946年(S21)7月1日、仙台貯金支局・仙台簡易保険支局設置 * 1949年(S24)、郵政省の設置に伴い「仙台地方簡易保険局」と改称 * 1949年(S24)末~1951年(S26)8月、長町新屋敷に庁舎建設し移転(S26年1月17日、工事中に1棟全焼) <接収解除> * 1957年(S32)8月17日、進駐軍・駐留軍(米軍)に接収されていた仙台簡易保険局ビル(北一番丁)が、12年ぶりに返還される / 病院として使用されていたので返還後内部を改修 * 1958年(S33)6月、改修工事完了し、長町から移転(のち、仙台地方貯金局と共同利用) |
「目で見る仙台の歴史」P163/「仙台市史 年表」P108/「重訂 宮城県郷土史年表」P596、P585/「仙台市史10 年表」P313、P325/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P285/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P584~585/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P245 | 99-100/「目で見る仙台の歴史」P163/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P584(簡保ビル)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P41(S33、仙台駅界隈空撮、画面右上の白いビル) |
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