分類項目 | 公共機関 |
タイトル | 仙台簡易保険局 |
写真番号 | 99-100 |
場所 | 仙台市北一番丁 |
映像内容 | 絵葉書「仙臺簡易保險局 (仙臺)」 / 北一番丁(現・上杉3丁目)に1936年(昭和11)、「仙台簡易保険支局」を開局 / 仙台空襲(昭和20年7月)では焼け残った / 敗戦後は、関東以北の占領に責任を持つ進駐軍(米軍)の軍団司令部が仙台におかれたが、占領の中枢機能を置くため、簡易保険支局庁舎が接収された(関連情報欄参照) / 場所は、「店舗配置図 北一番丁付近(昭和12年頃)」 98-146 に |
撮影年代 | 1936年(S11)頃 |
撮影年代判定根拠 | 開局年 / 真新しいので、仙台簡易保険局開局当時撮影の可能性あり |
関連情報/参考文献 | 【宮城縣郷土史年表 P596】 1935年(昭和10)、宮城県庁構内の「養賢堂」に簡易保険局仙台臨時分室を設置。翌1936年(昭和11)に北一番丁に、写真の「仙台簡易保険支局」を開局。 1949年(昭和24)郵政省の設置に伴い「仙台地方簡易保険局」と改称 / 【仙台市史 特別編4 市民生活 「占領軍とキャンプ」P325】に、仙台簡易保険局庁舎に占領軍の中枢(軍団司令部、第11空挺師団司令部、宮城県を担当する軍政団司令部など)が置かれたとの具体的記述がある / 渡邊慎也氏談(1995年)「簡易保険局は、進駐軍のヘッドクォーターがおかれ、のちにアーミーホスピタルとなった(朝鮮戦争の戦死米兵が運ばれ、生きた形にする作業をやっていた」 / 小野寺義男氏(仙台の進駐軍CID勤務経験がある警察官)談(1996年)「昭和20年暮~21年5月、簡易保険局5階に米軍憲兵司令部がおかれた。21年5月頃CIDが開設され、ベラードら12~13人のエージェントがいた。」 <組絵葉書> 99-100と、 99-061 、 99-065 は、宛名面レイアウト、キャプション(形式、字体、色)のスタイル、紙質、印刷の質感が同じ |
備考 | |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 18 |
画像ファイル名 | sendai5051 |