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出典/参考資料 |
関連映像 |
東北学院(専門科/専門部/高等学部) |
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1904年(M37)~1944年(S19) |
<専門部の校舎>
・ 大正11年9月、南町通り→東二番丁の仮校舎へ(中学部の)
・ 大正15年9月、東二番丁仮校舎→南六軒丁の新校舎へ
<専門科→専門部>
* 1904年(M37)、全校を普通科(5年)と専門学校令による専門科(3年)とに分け、専門科に文学部と神学部とを置く
* 1905年(M38)、専門科を専門部と改称(文学部を文科、神学部を神学科と改称)
* 1925年(T14)、神学科を専門部より分離し、神学部(第一科・第二科)とする。専門部は文科、師範科、商科となる
<土樋キャンパス(南六軒丁)>
* 1926年(T15)、南六軒丁に専門部校舎完成(のちの土樋本館)、9月より使用 / 鉄筋コンクリート3階建
<専門部→高等学部>
* 1929年(S4)、専門部を高等学部と改称
* 1932年(S7)3月19日、礼拝堂献堂式、高等学部の講堂落成式
* 1942年(S17)9月、高等学部の文科と師範科廃止
* 1943年(S18)、高等学部商科を高等商業部と改称(S20年に廃止)
<航空工業専門学校>
* 1944年(S19)、航空工業専門学校設置
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「東北学院創立七十年写真誌」末尾年表
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「目で見る仙台の歴史」P149と「東北学院創立三十年写真誌」P37に、「専門部校舎(大正15年竣工)」
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東北学院(教会) |
仙台日本基督教会 |
1901年(M34)~ |
南町通り(東二番丁通り北西角)にあり、赤レンガの「東北学院神学部校舎」に隣接していた
* 1881年(M14)5月、「仙台教会」、プロテスタント日本基督公会の押川方義らが国分町に設立
* 1901年(M34)、仙台教会が「仙台日本基督教会」献堂式挙行
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で焼失
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「東北学院創立七十周年写真誌」末尾年表P66
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43-30/「目で見る仙台の歴史」P138に、日本基督教会堂」
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東北学院中学部 |
南町時代(普通科) |
1895年(M28) |
<南町>
* 1895年(M28)、予科、本科を改組し、普通科5年、その上に専修科(文科、理科)2年、さらにその上に神学部3年を置く
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「東北学院創立七十周年写真誌」P11~12
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「東北学院創立七十周年写真誌」P11の写真
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東北学院 |
参考資料 |
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<参考資料>
・ 東北学院の沿革は、「東北学院」HPの「沿革」
・ 「東北学院創立七十周年写真誌」P65~P70の「年表 1886年(M19)~1955年(S30)」
・ 「同写真誌」末尾の「年表略図 1886年(M19)~1955年(S30)」
<参照>
・ 東北学院の総合的な沿革は、→項目「東北学院(沿革)」
・ 部門別には
→ 項目「東北学院中学部」
→ 項目「東北学院中学校・高等学校」
→ 項目「東北学院(専門科/専門部/高等学部)」
→ 項目「東北学院大学」
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東北学院 |
基督教講義所/仙台神学校 |
1880年(M13)/1886年(M19) |
<前身の仙台神学校>
* 1880年(M13)10月10日、押川方義、北三番丁木町通角、下(しも)きく宅に「基督教講義所」開設
* 1881年(M14)5月1日、押川方義と吉田亀太郎により「仙台教会」(国分町1丁目の山下方に)創立(東北初のプロテスタント系教会)
* 1886年(M19)5月、押川方義とウィリアム・H・ホーイが木町通北六番丁に「仙台神学校」を開校
* 1887年(M20)5月、東二番丁南町通北西角の本願寺別院跡を取得し、仙台教会と仙台神学校をここへ移す(別院本堂を教会堂に、塀長屋を神学校校舎兼寄宿舎に)
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「東北学院」HPの「沿革」/「東北学院創立七十周年写真誌」P9/「番丁詳伝」P192
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「目で見る仙台の歴史」P122に、明治14年創立の「仙台教会」/「東北学院創立七十周年写真誌」P9に、本願寺別院本堂/「仙台市史 特別編4 市民生活」P251(M19年頃、神学校発足当時のホーイと押川、教師と生徒たち)
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東北学院中学校・高等学校 |
宮城野区小鶴に移転 |
2005年(H17) |
<中学校・高等学校移転 東二番丁→小鶴>
* 2005年(H17)1月、中学校・高等学校新校舎完成(仙台市宮城野区小鶴)
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「東北学院」HP
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東北学院(沿革) |
戦前期 |
1891年(M24)~1945年(S20)夏 |
<東北学院>
* 1891年(M24)9月11日、東二番丁南町通角に仙台神学校新校舎(赤煉瓦造2階建スレート屋根、方形五層の塔および円錐形スレート屋根の円塔、城郭風ゴシック建築)が完成 / 仙台神学校、その年に校名を「東北学院」と改称し、予科2年・本科4年・神学部3年とする
* 1895年(M28)、予科、本科を改組し、普通科5年、その上に専修科(文科、理科)2年、さらにその上に神学部3年を置く
<仙台日本基督教会→東二番丁教会→東一番丁教会>(「番丁詳伝」P193)
* 1902年(M34)10月、仙台日本基督教会献堂式挙行(東二番丁南町通角・仙台神学校校舎に隣接、木骨赤レンガ造り、壁柱と窓縁は御影石、スレート葺きで中央に方形の塔、ドイツ人リチャード・シール設計)
* 1931年(S6)、東二番丁教会と改称、S20年仙台空襲で焼失
* 1951年(S26)5月、敷地を三馬弘進ゴムに売却し道場小路(現・一番町1丁目)に移転、
* 1953年(S28)、献堂式を行い東一番丁教会と改称
* 1955年(S55)、パイプオルガン設置
<東北学院>
* 1904年(M37)、全校を普通科(5年)と専門学校令による専門科(3年)とに分け、専門科に文学部と神学部とを置く
* 1905年(M38)、専門科を専門部とし、文学部を文科、神学部を神学科と改称 / 東二番丁に普通科校舎完成。
* 1915年(T4)5月、普通科を中学部と改称(生徒数357名)
* 1918年(T7)、専門部を改組、神学科・文科・師範科・商科とする
* 1919年(T8)3月、南町大火のため中学部校舎(東二番丁)全焼
* 1922年(T11)6月、中学部校舎再建(東二番丁・通称赤レンガ校舎)
* 1925年(T14)、神学科を専門部より分離し、神学部(第一科・第二科)とする。専門部は文科、師範科、商科となる
* 1926年(T15)、専門部校舎落成(南六軒丁)~設計:横浜のモルガン、建築:新田工務店、鉄筋コンクリート3階建~
* 1929年(S4)、専門部を高等学部と改称
* 1932年(S7)3月19日、ラーハウザー礼拝堂献堂式(南六軒丁) / シャンデリア、スチーム、鉄柵などは戦時に供出
* 1937年(S12)、神学部廃止(東京日本神学校と合同)
* 1940年(S15)5月、南町通旧神学部校舎および敷地を日産株式会社に売却
* 1943年(S18)、中学部を中学校と改称
* 1944年(S19)、航空工業専門学校設置(S20年12月、工業専門学校と改称、S22年廃止)
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で、校舎の大半を失う
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「目で見る仙台の歴史」P122、P164/「東北学院創立七十周年写真誌」P11、P36、P65~P69/東北学院HP
/「仙台市史 年表」P84、P85、P87、P91/「仙台市史10 年表」P268、P278/「番丁詳伝」P193
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「新・目で見る仙台の歴史」P139(仙台神学校)/「東北学院創立七十周年写真誌」P11とP50に、南町通の仙台神学校校舎、P11に同玄関と講堂内景/「目で見る仙台の歴史」P112に南町通りの仙台神学校(東北学院神学部)/同P149に「専門部校舎(大正15年)」/99-068(神学部校舎)、43-30(神学部校舎と東二番丁教会)/「目で見る仙台の歴史」P138と「市民の戦後史(仙台市)」P23に、「日本基督教会」/目で見る仙台の歴史」P164に「ラーハウザー礼拝堂」/「仙台市史 特別編4 市民生活」P124(日本基督教会堂)
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東北学院(沿革) |
戦後期 |
1945年(S20)夏以降 |
* 1945年(S20)12月、東北学院航空工業専門学校を、工業専門学校と改称(S22年に廃止)
* 1946年(S21)4月、東北学院専門学校(英文科・経済科)を設置
* 1947年(S22)4月、新制中学校設置
* 1948年(S23)4月、新制高等学校設置
* 1949年(S24)、東北学院専門学校が昇格し東北学院大学(文経学部)に
* 1951年(S26)3月31日、東北学院専門学校廃止
* 1953年(S28)5月14日、南六軒丁にシュネーダー記念図書館竣工し献堂式(鉄筋コンクリート造3階建、書庫5階建)
* 1959年(S34)4月、榴岡に男子部の高校分校を設置
* 1972年(S47)7月、榴ヶ岡高校新校舎完成
* 1980年(S55)3月5日、中学校・高等学校構内(東二番丁)に、シュネーダー記念館完成
* 1986年(S61)10月1日、東北学院大学、泉キャンパス新校舎起工式
* 2005年(H17)1月、中学校・高等学校、宮城野区小鶴に新校舎完成し、東二番丁から移転
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「東北学院創立七十周年写真誌」P69、P70/東北学院HP
/「仙台市史 年表」P116/「仙台市史10 年表」P320、P323/「重訂 宮城県郷土史年表」P534、P548、P564、P592/「続・ 宮城県郷土史年表」P12、P212/Wikipedia「東北学院大学短期大学部」
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シュネーダー記念図書館(南六軒丁)は、「東北学院創立七十周年写真誌」P63と、「目で見る仙台の歴史」P180
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東北学院中学校・高等学校 |
東二番丁(戦後) |
1945年(S20)~2005年(H17) |
<中学部>
* 赤レンガ校舎継続使用
<東二番丁・戦後 新制中学校・高等学校>
* 1947年(S22)4月、(新制)東北学院中学校発足
* 1948年(S23)4月、(新制)東北学院高等学校が発足
* 1949年(S24)、中学校木造校舎6教室落成
<鉄筋コンクリート校舎>
* 1951年(S26)、高・中学校理科教室3階建て落成
* 1955年(S30)、中学校校舎鉄筋コンクリート造3階建9教室完成
* 1958年(S33)4月、中学校赤レンガ校舎は都市計画により9教室を失う(戦後の東二番丁通り拡幅に伴い、赤レンガ校舎の一部(東側部分)が道路拡幅部分にかかるため、取壊された)
* 1958年(S33)4月、中学校・高等学校鉄筋コンクリート造4階建8教室完成
<新校舎と礼拝堂>
* 1970年(S45)11月、中学校・高等学校新校舎、礼拝堂完成
<赤レンガ校舎にお別れ>
* 1978年(S53)6月、中・高校の赤レンガ校舎、宮城県沖地震のため一部倒壊
* 1979年(S54)3月8日、中・高校の赤レンガ校舎見送り式(取壊し)
* 1979年(S54)4月、中学校校舎の礎石から、明治・大正のタイムカプセル発見
<シュネーダー記念館>
* 1980年(S55)3月5日、中学校・高等学校構内に、シュネーダー記念館完成
<中学校・高等学校移転>
* 2005年(H17)1月、東二番丁→宮城野区小鶴へ移転
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「東北学院」HP/「東北学院創立七十年写真誌」末尾年表P70/「続・ 宮城県郷土史年表」P93/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P349/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P512~513
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赤レンガ校舎は36-03、36-06(S24完成木造校舎、S26年とS30年完成のコンクリート校舎も写る)
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東北学院中学部 |
東二番丁(赤レンガ校舎)
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1922年(T11)
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<東二番丁・再建校舎=赤レンガ校舎>
・ 南町大火で焼失した東二番丁の旧校舎の跡地に再建
・ 鉄筋コンクリートレンガ張り(通称「赤レンガ校舎」)
・ 正面入り口に「LIFE LIGHT LOVE」が掲げられている
* 1922年(T11)6月、新校舎建築(赤レンガ校舎)
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で被災(外観は残る)
<名称変更>
* 1943年(S18)、中学部→中学校
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「東北学院創立七十年写真誌」P32~35 /「東北学院」HP
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「東北学院創立七十年写真誌」P33~35、P44、P60の写真
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東北学院中学部 |
東二番丁時代(普通科→中学部) |
1905年(M38) |
<東二番丁・初代校舎>
* 1905年(M38)、東二番丁に「普通科」校舎、竣工
・木骨レンガ造り2階建て、スレート葺き屋根
・屋根面にトーマー・ウィンドウ(屋根窓)
* 1915年(T4)、「普通科」を「中学部」と改称
* 1919年(T8)3月、中学部校舎、南町大火で焼失
* 1919年(T8)9月、バラック建て仮校舎落成
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「東北学院創立七十年写真誌」P22~23、P30 /「明治の洋風建築-宮城県-」P66「東北学院中学部」
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99-069/東北学院創立七十年写真誌」P22~23、P30の写真/「仙台市史 特別編4 市民生活」P138
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東北学院榴ケ岡高校 |
榴ケ岡に高校分校/東北学院榴ケ岡高等学校 |
1959年(S34)/1972年(S47) |
* 1959年(S34)4月、高等学校榴ケ岡校舎を開設(高校生急増対策として県市の要望もあり、榴ヶ岡に男子部の高校分校を設置)
* 1972年(S47)4月、榴ケ岡校舎が独立して東北学院榴ケ岡高等学校となり、8月に泉市市名坂に移転
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「重訂 宮城県郷土史年表」P592/「東北学院」HP/「東北学院榴ケ岡高等学校」HP
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東北学院大学大学院 |
設置 |
1964年(S39) |
<大学院>
* 1964年(S39)、大学院文学研究科(修士課程)を設置
* 1965年(S40)、大学院経済学研究科(修士課程)設置
~ 以降、1971年(S46)~2015年(H27)の間に、大学院では以下の研究科が新設、改称されているが、設置年、改称年などは、「東北学院大学」HPの「大学のあゆみ」参照 ~
文学研究科(博士課程)、工学研究科(修士課程、博士課程)、経済学研究科(博士課程)、法学研究科(修士課程、博士課程)、工学研究科土木工学専攻(修士課程、博士課程)、人間情報学研究科人間情報学専攻(修士課程、博士課程)、文学研究科にヨーロッパ文化史専攻とアジア文化史専攻(修士課程、博士課程)、経済学研究科に経営学専攻(修士課程)、工学研究科電子工学専攻(修士課程、博士課程)、同土木工学専攻を同環境建設工学専攻に改称
* 1966年(S41)7月27日、大学院のヒマラヤ・ヒンズークシ登山隊、登頂成功(世界で2番目)
<法科大学院>
* 2004年(H16)大学院法務研究科法実務専攻(法科大学)を設置/H26,学生募集停止/H28年、法科大学院を廃止
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東北学院大学HP/「重訂 宮城県郷土史年表」P627/
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東北学院大学 |
開校 |
1949年(S24) |
<前身の専門学校>
* 1946年(S21)4月、東北学院専門学校(英文科・経済科)および同二部を設置 / 1951年(S26)、廃止
<大学に昇格>
* 1949年(S24)4月1日、東北学院大学、南六軒丁で開校(英文、経済の2科)
* 1959年(S34)、文経学部二部を設置
* 1962年(S37)、工学部(機械工学科・電気工学科・応用物理学科)を多賀城市旭ヶ丘に新設
* 1964年(S39)、文経学部を文学部一部(英文学科・基督教学科・史学科)、同二部(英文学科)、経済学部一部(経済学科・商学科)、同二部(経済学科)に分離。
* 1965年(S40)、法学部を設置
* 1966年(S41)9月、東北学院大学登山隊がヒマラヤ・パンダコール登頂成功
* 1986年(S61)、創立100周年記念式典を挙行。
* 1988年(S63)、文・経済・法学部の教養課程を泉キャンパスに移転
* 1989年(H1)、教養学部(教養学科人間科学専攻・言語科学専攻・情報科学専攻)を泉キャンパスに新設
~以降の大学学部内の学科および専攻の新設、名称変更、廃止などは、「東北学院大学」HPの「大学のあゆみ」参照~
<短期大学>
* 1950年(S25)、東北学院大学短期大学部併置(2年制、英文科と経済科)
* 1959年(S34)、短期大学部を東北学院大学文経学部二部(英文学科・経済学科)に改組
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東北学院大学HP/「東北学院創立七十年写真誌」末尾年表/「仙台市史 年表」P116/「続・ 宮城県郷土史年表」P212、P241/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P536~538
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P537/「市民の戦後史(仙台市)」P187(パンダコール登頂隊への寄書き日の丸)/「新・目で見る仙台の歴史」P142(東北学院大学泉キャンパス)
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