項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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南町通り(多門通り) | 概要 |
・「南町通り」は、仙台駅前から裁判所(戦前は宮城控訴院、戦後は仙台高等裁判所)へ向かう通りで、戦前の仙台市では市中心部を東西に貫くもっとも広い幹線道路だった ・ 仙台で初めて街路樹が植栽され、歩車道の区別が設けられるなど、大正期から昭和期にかけ整備がすすんだ(「番丁詳伝」P81) ・ 仲見世(南町通り) 大正年間、毎年年末25日頃より、道路真ん中に一間くらいに仕切った板囲いの小屋が両側にできた。(露天商が東京など全国からやってきた) ・ 戦前から、コンクリート舗装されていた ・ 1933年(S8)1月、第二師団(多門師団長)が満州事変から「凱旋」し、これを機に「多門通り」と改称され、1945年(S20)日本敗戦後、再び「南町通り」となった * 1926年(T15)11月、仙台初の市電が、「仙台駅前」から南町通りを経由し、大橋や川内の第二師団への入口である「大町一丁目」まで開通した * 1933年(S8)1月、 第二師団(師団長の名を関して、通称多門師団)が「凱旋行進」 / 「満州事変」で「武勲」をたてた第二師団が仙台に帰還し、市民の熱狂の中を仙台駅から南町通りを行進 * 1933年(S8)1月、「多門通り」と改名(「凱旋」を記念して、仙台市会が当時の師団長の名を冠した改名を決議) * 1945年(S20)7月、 仙台空襲で南町通り周辺一帯も焼失し壊滅的な被害 * 戦後は「南町通り」に復名 * 1953年(S28)月日、南町通り・西公園線の一部の舗装が、日米行政協定による事業として、一気にすすむ * 1963年(S38)、仙台初の地下ケーブルの水銀灯点灯、歩道の舗装も完成、街路樹もヤナギから唐カエデに植え替えられた(「仙台市史 続編第2巻」P167) * 1976年(S51)3月、仙台市電廃止 |
「番丁詳伝」P81/「わが心の仙台駅前史」P43/「仙台市史 年表」P103、P106、P130/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P404/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P167 | 53-91、65-01-01、20-02など分類A-05-06「南町通り」の全写真 / 戦災焼失後の様子は、63-04/「目で見る仙台の歴史」P198(南町通り東五番丁交差点、朝のラッシュ、S30年代前半)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P100(S51、東一番丁角以東、カラー) |
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