項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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第二高等学校(旧制) | 戦後、三神峯校舎時代/東北大に包括 | 1945年(S20)~1949年(S24) |
<戦後 三神峯校舎時代> * 1945年(S20)、仙台空襲(7月10日)で北六番丁校舎焼失後、旧仙台陸軍幼年学校の校舎だった三神峯校舎に移転 * 1946年(S21)2月23日、昭和18年から修業年限が1年短縮されていた中等学校を5年間に、高等学校と大学予科を3年間に復活(菅家年表P36) * 1946年(S21)12月28日、第二高等学校寄宿舎(西多賀)焼失(「市史10 年表」P314) <東北大学に包括> * 1949年(S24)5月:新制東北大学設立にともない包括される(旧制二高三神峯校舎は分校第一教養部として引き継がれる)(東北大学HP掲載「沿革図」) <記念碑など> * 1976年(S51)10月23日、堤通雨宮町に、旧制二高創立90周年記念「雄大剛健之碑」除幕(続・郷土史年表P59) * 1982年(S57)月日、上杉6丁目の旧制二高明善寮閉鎖(明治39年清水小路に、大正15年現在地へ移転)(「続・郷土史年表」P144) * 1986年(S61)4月23日、仙台市三神峯に「二高尚志の碑」、除幕(「続・郷土史年表」P204) * 1986年(S61)10月25日、仙台旧制二高創立百年で片平丁の東北大学キャンパスに「青年の像」除幕(続・郷土史年表P212) <番外編> * 1967年(S42)8月、仙台寮歌祭 |
「仙台市史10 年表」P314/「続・ 宮城県郷土史年表」P59、P144、P204、P212/「菅家年表」P36/東北大学HP掲載「沿革図」/「仙台あのころこのころ八十八年」P255 | 「市民の戦後史(仙台市)」P198(S42年8月の仙台寮歌祭) |
第二高等学校(旧制) | 北六番丁校舎時代 | 1926年(T15)~1945年(S20) |
<北六番丁校舎時代> 東北帝国大学法文学部設置にあたり片平丁の校地を提供して、北六番丁(現・東北大学農学部)に移転した * 1925年(T14)7月、北六番丁校舎へ移転(「宮城県百科事典」P637) * 1926年(T15)10月9日、二高新築校舎、尚志会運動場落成(「重訂」P404、「仙台年表」P197、「市史10 年表」P268) * 1927年(S2)、自治問題や明善寮管理問題をめぐり校長排斥のストライキ * 1934年(S9)12月28日、旧制二高7名と東北帝大ボート部員3名、松島湾で突風吹雪のため遭難、10人死亡(「重訂」P443、「市史10 年表」P284) <護国尚志会> * 1941年(S16)1月8日、第二高等学校護国尚志会発会式(「市史10 年表」P300) * 1944年(S19)7月20日、第二高等学校護国尚志会、二高総蹶起大会挙行(「重訂」P502、「市史10 年表」P308) <戦時中、修業年限短縮> * 1941年(S16)10月16日、勅令第924号「大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ臨時短縮ニ関スル件」により、大学・高等専門学校、中等学校での就業年限を6か月短縮 / この年は12月に、翌年3月卒業予定者を繰上げ卒業 * 1942年(S17)8月21日、修業年限3年から2年に短縮(中等学校は5年を4年に短縮) * 1943年(S18)1月21日、大学令改正で、大学予科、高等学校の修業年限を3年間から2年間に短縮(「市史10 年表」P304、「菅家」P30) <終業年限短縮 Wikipedia「旧制高等学校」より転記> 「太平洋戦争が激化すると、非常時の臨時措置として1942年、43年には半年繰り上げの2年半で、また、1943年入学の学年からは法改正により正式に修業年限が2年に短縮された。ただし、終戦直後の1945年9月に再び修業年限3年に改められたため、2年の年限で卒業したのは1943年入学の学年だけである。 」 <校舎焼失> * 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で、北六番丁校舎焼失(その後、三神峯に移転) |
「宮城県百科事典」P637/岩波ブックレット「年表 昭和史」P18/「重訂 宮城県郷土史年表」P404、P443、P502/「仙台年表」P197 /「仙台市史10 年表」P268、P284、P300、P304、P308/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P30/「NHK仙台放送局60年のあゆみ」P10/「菅家年表」P36/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P312/新・目で見る仙台の歴史」P148/「仙台市史 特別編4 市民生活」P536 Wikipedia「旧制高等学校」2020年8月版 |
53-41、53-42/「新・目で見る仙台の歴史」P148(S2年、校長排斥スト、講堂で集会と決議文)/「目で見る仙台の歴史」P160(松島湾ボート遭難30分前の写真) |
第二高等学校(旧制) | 第二高等中学校/第二高等学校(片平丁校舎時代) | 1887年(M20)/1894年(M27) |
<前身の第二高等中学校> * 1886年(M19)公布の中学校令により、仙台市に第二高等中学校設 / 翌年9月、本科、予科、医科の3科で開校、同市東二番丁、荒町、片平丁へと移転した(「宮城県百科事典」P637) * 1887年(M20)4月1日、第二高等中学校を19年4月発布の中学校令により仙台に創設す(7月仮事務所を宮城県尋常中学校に設け、8月荒町小学校内に移る(「重訂 宮城県郷土史年表」P276) * 1887年(M20)4月18日、文部省、第二高等中学校を仙台に設置 / 同年8月19日、第二高等中学校に医学部設置(「仙台市史 年表」P86) <片平丁校舎へ> * 1889年(M22)8月、片平丁に新校舎本館落成し、本部・医学部ともに東二番丁尋常中学校跡より移転(「重訂 宮城県郷土史年表」P284) * 1889年(M22)8月3日、片平丁に第二高等中学校校舎が完成(「仙台市史」P87) / 本館はゴシック風木造2階建、黒褐色のペンキ塗りで北欧風 / 1891年(M24)、盛大な開校式(「明治の洋風建築-宮城県-」P62) <第二高等学校 片平丁校舎時代> * 1894年(M27)9月、第二高等学校と改称(「宮城県百科事典」P637) * 1994年(M27)6月25日、高等学校令を公布し「第二高等学校」と改称、さらに医学部と大学予科とを置く(「「重訂 宮城県郷土史年表」P298) / 開校記念日10月26日(「重訂 宮城県郷土史年表」P276) * 1994年(M27)9月11日、「第二高等学校」と改称(「仙台市史 年表」P89) 第二高等学校開校当時の組織(「重訂 宮城県郷土史年表」P276)は、医学部(4年・定員200人)、本部(定員460人)、本科(2年・尋常中学校卒業程度)、予科(3年・尋常中学校第二学年修了程度) / 第1回の入学試験受験者73名、入学許可者7名 * 1901年(M34)4月1日、第二高等学校医学部が仙台医学専門学校として独立(「仙台市史 年表」P91) * 1910年(M43)、片平丁に書庫が完成(「仙台市史 年表」P95) |
「重訂 宮城県郷土史年表」P276、P284、P298/「宮城県百科事典」P637「第二高等学校」/「明治の洋風建築-宮城県-」P62「第二高等学校」/「仙台市史 年表」P86、P87、P89、P91、P95 | 99-058 / 「新・目でみる仙台の歴史」P141の写真(第二高等中学校の開校式)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P253(M24年5月の第二高等中学校校舎完成記念開校式の図)/「いつか見た街・人・暮らし」P18(学生服学帽の二高生が写る、大正13年)/「目で見る仙台の歴史」P128(仙台医学専門学校校門と校舎)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P363(M44年ころ、仙台医学専門学校授業風景、女性看護婦も)/同P395(M44年ころ、仙台医学専門学校=旧宮城病院バックに学生たち) |
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