項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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発電事業 | 電力の国家統制(日本発送電/東北配電) | 1939年(S14)/1942年(S17) |
戦時体制の下、電力は国家管理となる <日本発送電> * 1939年(S14)、日本発送電株式会社設立(国家総力戦体制を構築しようとする当時の日本政府の電力国家管理政策に基づき、東京電燈・日本電力など全国の電力会社の現物出資や合併によって設立された半官半民の特殊会社) / これにより、東北地方は仙台にある日本発送電(株)東北支店の所管となる <昭和17年、東北地方は東北配電に一本化> * 1941年(S16)8月30日、配電統制令が公布、即日施行 ・ 全国各地の配電事業者は統合を余儀無くされ、五大電力会社を含めて全て解散 ・ 1942年(S17)には全国9ブロック(北海道・東北・関東・中部・北陸・近畿・中国・四国・九州)に新たな配電会社が設立され、この9配電事業体制の下で日本発送電と連携した配電事業が行われた ・ 東北送電(株)は解散し県営の3発電所とともに日本発送電に強制移管される → 仙台市電事業を除き、仙台市営と宮城県営のすべての施設が「東北配電」に移行 ・ 仙台では当時、長町・原町周辺を中心に工場が増え始め、特に軍需関係産業には優先的に電力とガスの供給が行なわれた |
「仙台市史 特別編4 市民生活」P142 | |
発電事業 | 戦後の電気事業再編成(東北電力に一本化) | 1951年(S26) | * 戦後、日本発送電が解体され、1951年(S26)には発電から配電までを一貫して行う電力会社が全国9地区に誕生 / 東北では東北電力が設立され、日本発送電東北支店所管の施設と東北配電の施設および供給区域を継承した | 「仙台市史 特別編4 市民生活」P142 | |
発電事業 | 宮城紡績会社/宮城水力紡績会社/宮城水力紡績製紙会社/宮城紡績電灯会社 | 1888年(M21)/1894年(M27)/1897年(M30)/1899年(M32)~1912年(T1) |
<宮城紡績会社、アーク灯試験点灯> * 1888年(M21)7月1日、宮城紡績会社、三居沢工場において水力発電による電灯の試験点灯を行う(アーク灯の点灯に成功) <宮城水力紡績株式会社、市内に供給開始、365灯> * 1894年(M27)、宮城紡績会社が宮城水力紡績株式会社と改称、30kwの発電所の運転開始 * 1894年(M27)7月15日、宮城水力紡績株式会社が、この日開業した仙台電灯株式会社を通じて供給し仙台市内に365灯の電灯が灯る * 1894年(M27)7月、三居沢紡績会社の水力発電を利用して、仙台市中に電灯をはじめて点ず(当時の点灯数365灯) * 1895年(M28)、221戸で752灯 * 1896年(M29)1月1日、宮城水力紡績、三居沢第一発電所の運転開始 <宮城水力紡績製紙株式会社> * 1897年(M30)10月16日、宮城水力紡績株式会社、仙台製紙と合併して宮城水力紡績製紙株式会社となる * 1898年(M31)6月、宮城水力紡績製紙株式会社、清水小路火力発電所の運転開始 <宮城紡績電灯株式会社> * 1899年(M32)10月、宮城水力紡績製紙株式会社と仙台電灯株式会社が合併し、宮城紡績電灯株式会社となる(供給区域は、仙台市、茂ケ崎村の一部、原町、七郷村南小泉、七北田村に及び、4000灯を超える * 1900年(M33)、宮城紡績電灯株式会社、清水小路火力発電所を廃止 * 1908年(M41)、宮城紡績電灯株式会社、三居沢に新発電所設置、試運転開始 * 1910年(M43)年9月、仙台市が仙台電力株式会社と宮城紡績電灯株式会社に設備買収交渉 <仙台市が買収> * 1912年(T1)12月、仙台市が宮城紡績電灯を買収、計4万1145灯に達する |
「仙台市史 特別編4 市民生活」P140~141/「重訂 宮城県郷土史年表」P298/「仙台市史 年表」P86、P88、P89、P90、P91、P94、P95/Wikipedia「三居沢発電所」 | 「仙台市史 特別編4 市民生活」P141(M27年頃の清水小路の火力発電所) |
発電事業 | 仙台電力 | 1908年(M41)~1911年(M44) |
<仙台電力株式会社> * 1908年(M41)6月23日、仙台電力株式会社、国分町に設立 この年に、宮城郡大倉村岩下に大倉発電所建設着手 * 1908年(M41)、仙台電力株式会社設立、供給区域は仙台市東部、岩切村、高砂村、茂ケ崎村の一部、中田村、西多賀村のほか、宮城、名取、亘理郡下の町村で、1910年(M43)に営業開始 * 1910年(M43)4月1日、仙台電力、大倉発電所の運転開始 <仙台市が買収> * 1911年(M44)7月1日、仙台市、仙台電力株式会社を買収し仙台市電気部を設置 |
「仙台市史 年表」P94、P95/「仙台市史 特別編4 市民生活」P141 | |
発電事業 | 仙台愛宕下水力発電所 | 1921年(T10)~1929年(S4)頃 |
* 仙台市内の電気会社が1920年(T9)に建設し、翌年に開業 * 1929年(S4)頃には操業を停止、約10年間の短い歴史で幕を閉じた 「大橋の下流に築いた堰から取水した広瀬川の水を、約2キロメートルの導水トンネルを通して愛宕山の麓へ導き、そこに設けた反動水車で発電し、当時の名取郡六郷村(のち、昭和16年に仙台市に合併)へ電気を通して電灯などに運用されていたということです」 |
仙台市役所関連の「広瀬川ホームページ」よりhttp://www.hirosegawa-net.com/ | |
発電事業 | 仙台市営電気事業(大正期の電灯増加) | 大正年間 |
出典:雲然祥子論文「大正期仙台市の電気料金値上げ問題」 https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2011/pdf/bk2011no09_10.pdf#search=%27%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82+%E7%99%BA%E9%9B%BB%E4%BA%8B%E6%A5%AD+%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E5%85%83%E5%B9%B4%27 <仙台市営電気事業の電灯需要数> ・1911年(M44)7月、 5960灯 ・1915年(T4)、 7万4310灯 ・1919年(T8)、 9万3729灯 ・1920年(T9)、 10万9390灯 供給区域は、この間に、仙台市(当時)から周辺町村や仙南地域まで及んでいる |
「東北学院大学経済学論集第177号」P172、雲然祥子論文「大正期仙台市の電気料金値上げ問題」 | |
発電事業 | 仙台市営電気事業 | 1911年(M44)~1942年(S17) |
* 1910年(M43)年9月、仙台市が仙台電力株式会社と宮城紡績電灯株式会社に設備買収交渉 <仙台市営電気事業> * 1911年(M44)6月 仙台市が仙台電力と契約し、同年7月1日電気事業を開始 * 1912年(T1)、仙台市が宮城紡績電灯も買収、大倉(現在の大倉発電所とは異なる)・大堀・碁石川・三居沢の水力発電所を所有 「土樋火力発電所」(仙台市営) * 1926年(T15)6月、土樋火力発電所トンネル工事による水量減少で、七郷・高砂・原町3村の600余名に影響し騒動(「番丁詳伝」P122) * 1926年(T15)12月24日、土樋火力発電所が竣工(出力、2000kW) * 土樋火力発電所の設備は1941年(S16)に北支那開発関係機関へと徴用され、廃止 <仙台市営電気事業> * 1941年(S16)公布の配電統制令に基づき、市が新たに設立される東北配電株式会社の設立に参加 * 1942年(S17)3月31日、仙台市電気事業、配電統制令に基づき東北配電KKに移行 * 1942年(S17)4月、市営電車部門を除く電気事業設備を出資して市の電気事業は終焉を迎える <東北配電株式会社> * 1942年(S17)4月1日、事業開始 * 1942年(S17)6月30日、宮城県電気部解散式 |
「仙台市史 特別編4 市民生活」P141/「東北大学鉄道研究会公式ブログ」/「仙台市史 年表」P103/「仙台市史10 年表」P304 | 08-10-03(右端の煙突が土樋火力発電所) |
発電事業 | その他の発電事業 |
「仙台市史 特別編4 市民生活」P141には、宮城紡績電灯、仙台電力、仙台市営電気事業のほかに、以下の発電事業の記述 * 「T12年から宮城県営電気事業開始/T6年設立の秋保電気、T8年の名取川水力発電、T10年の冠川電気(根白石村)は、T13年に東北電灯に合併/T10年開業の仙台電気工業、広瀬電力はT15年に二本松電気に合併/これら仙台市周辺地域の会社はS4年~5年に県営事業に移る」 * 1936年(S11)、東北振興策の1つとして、東北振興電力(株)設立されたが、1941年(S16)に日本発送電(株)に統合 |
「仙台市史 特別編4 市民生活」P141 |
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