項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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河北新報社 | 1897年(M30)~ |
* 1897年(M30)1月17日、 一力健治郎が「東北日報」を買収し「河北新報」 創刊 * 1934年(S9)、東北美術展開催 / 以後毎年(戦時中の4年間を除き)「河北美術展」を開催 * 1942年(S17)7月、全国の新聞は中央各紙を含め一県一紙に整理統合、(宮城県では河北新報に統合) ・ 「内務省は言論統制を容易にするため全国の新聞社の整理統合に取り掛かりました。新聞用紙の配給を武器に、力の弱い新聞の廃刊や合併による統合を進めたのです。 その結果、東京、大阪、名古屋、福岡は複数の新聞を認めましたが、ほかの道府県は一県一紙となりました。 宮城県警察部特高課が知事に提出した報告「県内には日刊の新聞社が13社あり、整理統合を断行し昭和17年1月31日をもって一県一紙(河北新報)実現す。ほかにも108社の新聞社、出版社があり最終的に19社を目標にしている。」(「戦争のころ 仙台、宮城」P110) * 1944年(S19)3月、「河北新報」夕刊廃止 ・ 「S20年春、地方紙は共同印刷となり、宮城県では、河北新報社が読売報知、毎日新聞、朝日新聞の題字を併記した新聞を制作した。用紙不足から2ページ、日によってはタブロイド版2ページの時もあった。」(「戦争のころ 仙台、宮城」P200) * 1945年(S20)8月1日、河北新報社に診療所を設く(はじめ内科、次いで外科、耳鼻咽喉科、眼科、歯科) * 1946年(S21)9月28日、社内に夕刊東北新聞社設立し、10月1日から日刊新聞「夕刊とうほく」発行 * 1950年(S25)10月、「夕刊とうほく」と「河北新報」併合 * 1951年(S26)9月1日、河北夕刊を発行 * 1951年(S26)11月3日、河北文化賞創設 * 1960年(S35)月日、「さくら号」(ジープ)地球一周(南北アメリカ)に出発 * 1988年(S63)9月14日、河北新報社、新社屋完成 |
「仙台市史 年表」P90/「重訂 宮城県郷土史年表」P501、P505、P513、P545、P551、P552、P595/「続・ 宮城県郷土史年表」P251/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P257/「番丁詳伝」P41/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P110、P200 | 「目で見る仙台の歴史」P132に、「河北新報創刊号と初代社長一力健治郎」/「目で見る仙台の歴史」P161に「河北美術展」/同P187に「河北文化賞」受賞者記念写真(小倉強、海鋒義美氏ら)/同P193(河北新報社と東北放送)/「市民の戦後史(仙台市)」P127(仙台に帰還したさくら号スタッフ、山中をゆく「さくら号」)/25-10、25-09、25-08/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P39(S33年 空撮) |
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