項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
---|---|---|---|---|---|
新寺小路地区都市改造事業(区画整理) | 計画公示~完了 | 1960年(S35) ~2000年(H12) |
<「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」(昭和44年9月発行)P388より> 「新寺小路地区第一工区土地区画整理事業=寺院と墓地によって相当部分が占められており、仙台駅に隣接してしているにもかかわらず市街地としての環境整備が遅れているので、市中心部と東部地区を連絡する都市計画街路を築造し、駅前広場(東口)を拡張して交通の円滑化を図るとともに、区画街路、公園などを設置、墓地を整理して総合的に近代市街地化する。このため墓地は別途事業で造成中の葛岡墓園に移転改葬し跡地は宅地として利用する計画。事業認可面積は約60.3haで、昭和35年から5か年計画で着工したが、墓地の所有権をめぐる訴訟事件などのため事業は進まなかったが、同地区の10カ寺との話し合いがつき、昭和44年一部墓地の移転が開始されたので、清水小路多賀城線の拡張工事は軌道に乗り始めた。」 <「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P127> 「新寺小路の区画整理は、区域内約1100戸を交換分合するほか、約30カ寺の墓地を整理、3万基近い墓を葛岡墓地公園に移転。そして道幅を7.5mから25mに広げ、都心部と仙台バイパスを結ぶ最短路線にしようというもの。」 * 1960年(S35)6月、新寺小路地区都市改造事業計画公示(施行年度は、2000年度(H12)まで / 施行面積60.4ha) * 1960年(S35)9月、新寺小路地区の33カ寺、墓地所有をめぐり市を相手に訴訟 * 1964年(S39)2月、葛岡墓園造成開始(新寺小路地区の都市改造事業=区画整理による移転墓地) / 第一工区分(21カ寺、2万8000基)、第二工区分(12カ寺、6600基)の代替墓地にするため、仙台市が当時の宮城町葛岡地区の国有山林を借り造成 * 1965年(S40)1月、新寺小路墓地問題で11カ寺と市が和解 * 1969年(S44)3月、移転第1号として応瑞寺の墓碑50基を移転 |
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P388/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P127、P744/「同書」末尾年表P871、P888/「仙台市史 年表」P123/「市民の戦後史(仙台市)」P110、P113 | 「市民の戦後史(仙台市)」P211(葛岡墓地公園) |
全1ページ中、1ページ目 (総数:1件)