仙台よみとき用語年表
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国鉄(東北本線) 4 電化  1961年(S36)/1965年(S40)/1968年(S43)  * 1956年(S32)8月3日、上野~仙台間の電化起工式
* 1958年(S33)4月14日、上野~宇都宮間の電化完成
* 1961年(S36)3月1日、上野~仙台間の電化完成(S31年8月起工)
(菅家年表では、1961年(S36)5月1日東京~仙台間電化され特急電車が走る)
* 1965年(S40)10月1日、仙台~盛岡間の電化完成
* 1967年(S42)10月1日、東北本線、岩沼~福島駅間が複線電化して開通 / 同日に、東北本線特急の東京駅乗り入れも実現
* 1968年(S43)10月1日、青森まで東北本線全線電化完成

 
「重訂 宮城県郷土史年表」P582、P588、P599、P621、P635、P643/「仙台市史 年表」P121、P124/「仙台駅前商店街振興組合の歩み」(年表)/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P55、P62   
国鉄(戦後) 1 東北本線以外  1945年(S20)夏~1965年(S40)  <以下は、東北本線、常磐線、仙山線、仙石線を除く、戦後の国鉄関連> 
   東北本線関連は、→ 項目「国鉄(東北本線)」に
   常磐線関連は → 項目「国鉄(常磐線)」に
   仙山線関係は、→ 項目「国鉄(仙山線)」に
   仙石線関係は、→ 項目「国鉄(仙石線)」に

* 1945年(S20)7月5日、国鉄運賃25割値上げ、仙台・東京間往復乗車賃210円となる
* 1945年(S20)秋、駅名を左書きに、平仮名、漢字、ローマ字の三段に(「菅家年表」P35)
* 1945年(S20)10月2日、進駐軍専用の「白帯列車」の運転開始
* 1945年(S20)11月20日、仙台鉄道局、急行列車復活
* 1949年(S24)6月1日、日本国有鉄道(国鉄)と日本専売公社、設立
* 1950年(S25)8月1日、機構改正で、仙台鉄道局は仙台鉄道管理局となる
* 1952年(S27)2月28日、米軍専用の客車「白帯車」を廃止(「菅家年表」P46)
* 1952年(S27)4月1日、進駐軍のRTO(米軍鉄道輸送司令部)廃止、国鉄の自主運行となる(「菅家年表」P46)
* 1952年(S27)9月1日、仙台自動車営業所、貨物運送開始
* 1954年(S29)5月1日、長町操車場営業開始(当時、北日本最大規模、1日3000輌をさばく)
* 1954年(S29)12月20日、国道4号線と東北本線の立体交差橋完成(長町諏訪)
* 1957年(S32)1月16日、仙台に東北支社設置
* 1958年(S33)4月16日、宮城野に仙台貨物駅起工式
* 1960年(S35)7月1日、新運賃制で三等を廃止(2、3等車を1、2等車に改め、3等車の赤切符を廃止)
* 1961年(S36)6月1日、宮城野貨物駅スタート
* 1965年(S40)9月24日、電子計算機による「みどりの窓口」開設 
「仙台年表」P215/「仙台市史 年表」P116/「仙台市史10 年表」P329/「重訂 宮城県郷土史年表」P544、P558、P573、P575、P584、P588、P597、P600、P621/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P35、P46、P54  「市民の戦後史(仙台市)」P134(S36年6月営業開始した宮城野貨物駅)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P46(S33年頃、長町操車場)/同P47(S33年頃、長町操車場の転車台)/同P111(S58、長町操車場、カラー) 
国鉄(戦後) 2 東北本線以外  1966年(S41)~1975年(S50)  * 1966年(S41)3月5日、運賃値上げ、旅客31%
* 1966年(S41)7月、北目町に国鉄ビル完成(地上6階地下1階)
* 1967年(S42)10月1日、常磐線、電化し営業運転を開始
* 1968年(S43)4月1日、国鉄丸森線、槻木~丸森間営業開始
* 1969年(S44)5月9日、運賃15%値上げ
* 1969年(S44)5月10日、1、2等車を廃止、グリーン車ができる(「菅家年表」P63)
* 1970年(S45)1月22日、指定乗車券がコンピューターによる発売となる(「菅家年表」P64)
* 1970年(S45)7月21日、東北支社廃止決定
* 1972年(S47)3月15日、仙台(宮城野駅)~東京間(小名木川駅)、フレートライナー(鉄道とトラック輸送を直結したコンテナ輸送)往復運転開始/ 同日、長距離普通列車228号(青森~上野間)引退
* 1972年(S47)4月1日、運賃改正にあわせて、仙台市内11駅を市内扱いに改正
* 1972年(S47)4月27日、国労・動労が空前のストライキ
* 1973年(S48)12月4日、公労協全日ストで国鉄ダイヤ大混乱
* 1973年(S48)8月、鉄道弘済会の売店をKIOSK(キオスク)と呼称(「菅家年表」P67)
* 1974年(S49)3月26日、国労・動労、正午まで準ゼネスト
* 1974年(S49)4月11日、春闘で空前の交通スト(600万人参加、国鉄初の全面運休)、4月13日収拾
* 1974年(S49)10月、仙台鉄道管理局管内からSLが完全に姿を消す
* 1974年(S49)11月27日、国鉄48時間スト
* 1975年(S50)5月9日、春闘で交通ゼネスト、国労・動労はスト中止
* 1975年(S50)11月26日、公労協・国労・動労などがスト権奪スト、12月4日スト中止(国鉄全線、史上最長の192時間運休)
* 1975年(S50)12月1日、東北公労協ストで、仙山線完全ストップ 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P567/岩波ブックレット「年表 昭和史」P55、P56/「重訂 宮城県郷土史年表」P624、P635、P639、P662/「続・ 宮城県郷土史年表」P7、P8、P9、P25、P28、P34、P41、P47/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P63、P64、P67、P68  「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P569に、仙台の国鉄ビルの写真/「市民の戦後史(仙台市)」P199(S42年3月、国鉄原町操車場空撮) 
国鉄(戦後) 3 東北本線以外  1976年(S51)~1987年(S62)4月  * 1976年(S51)3月17日、公労協春闘24時間ストで国鉄幹線網マヒ
* 1976年(S51)4月20日、交通ゼネストで、常磐線全面運休
* 1977年(S52)4月、仙台発列車のほか古川発にも禁煙列車追加
* 1978年(S53)4月13日、動労などスト突入、長距離列車全面マヒ
* 1980年(S55)4月15日、国鉄・私鉄などストライキ
* 1980年(S55)11月24日、ドカ雪で、東北線全面ストップ、仙石線も戦後初めて不通、仙台市内で11万戸停電
* 1981年(S56)10月1日、国鉄、「フルムーン」を発売
* 1982年(S57)2月15日、仙石線の榴ヶ岡・宮城野原・苦竹・福田町・陸前高砂・下馬・西塩釜駅業務を民間委託
* 1983年(S58)10月2日、仙石線に特別快速列車
* 1985年(S60)3月1日、仙台圏にグリーンライナー新型電車運転
* 1985年(S60)10月11日、閣議、国鉄を1987年4月に6分割・民営化を決定
* 1986年(S61)1月30日、仙台圏の電車は、4人掛けをロングシートに改造
* 1986年(S61)4月25日、仙台圏輸送改善のグリーンライナー第1号が仙台運転所に配属
* 1987年(S62)4月1日、国鉄分割民営化、仙台に東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)東北地域本社が発足、JRグループ11法人と国鉄清算事業団が発足
 
    → <これ以降は、項目「JR東日本」へ> 
岩波ブックレット「年表 昭和史」P66、P68/「続・ 宮城県郷土史年表」P52、P53、P67、P80、P110、P120、P142、P166、P189、P201、P204、P221/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P75   
国鉄(日本鉄道時代) 東北本線  1887年(M20)~1906年(M39)10月  <日本鉄道時代>
* 1887年(M20)12月15日、開業
   (当時は私鉄・日本鉄道で、塩釜まで開通)
* 同年12月20日、東京・仙台間の開通式挙行
* 1891年(M24)9月1日、仙台~青森間が開通 
「重訂 宮城県郷土史年表」P278/「仙台市史 年表」P86、P87   
国鉄(鉄道省時代) 1 日本鉄道 →国有化(鉄道省)  1906年(M39)11月~1945年(S20)8月  <鉄道省・運輸逓信省時代>
日本鉄道は、M39年公布の鉄道国有法により、
* 1906年(M39)11月1日、国有化された

* 1944年(S19)11月15日、東北本線岩切駅から分岐する「海線」(岩切~品井沼)開通 
「仙台市史 年表」P93/Wikipedia「日本鉄道」/「重訂 宮城県郷土史年表」P503   
国鉄(東北本線) 2 旅客・貨物輸送  1945年(S20)秋~1965年(S40)  <戦後(昭和24年6月からは国鉄=公共企業体日本国有鉄道)>
 
* 1945年(S20)11月、上野~青森間急行1往復(101・102列車)が運転再開、しかし翌月、深刻な石炭不足になり再び一時運休
* 1947年(S22)6月28日、仙台鉄道管理局管内、急行復活し常磐線経由の急行1往復(207・208列車)運転開始、二等車復活
* 1947年(S22)7月1日、青森行き普通列車に「婦人子ども専用車」登場(「菅家年表」P41)
* 1947年(S22)11月1日、東北で木炭が滞貨となり、輸送のため「木炭列車」を運転 / 国鉄はこの秋、電力、石炭の不足で貨車の入れ替えにも支障が出る(「菅家年表」P41)
* 1948年(S23)7月1日、上野~青森間直通急行は東北本線経由の1往復(103・104列車)運転開始
* 1949年(S24)6月、日本国有鉄道法施行、公共企業体日本国有鉄道発足
* 1958年(S33)10月10日、東北初の特急列車「はつかり」、上野~青森間を常磐線経由で運転開始(「仙台市史 年表」P120) / 蒸気機関車、仙台~上野間5時間25分 / 上野~青森12時間
* 1960年(S35)12月10日、「はつかり」(常磐線経由)が気動車(ディーゼル)特急となる(「重訂 宮城県郷土史年表」P598)/ 常磐線経由で
* 1961年(S36)3月、仙台まで交流電化完成(「仙台市史 特別編4 市民生活」P201)
* 1961年(S36)5月1日、東京~仙台間電化され、特急電車が走る(「菅家年表」P55)
* 1961年(S36)6月1日、「宮城野駅」(貨物専用駅)開業(同時に、仙台中央卸売市場への引き込み線完成) / 前年10月、長町~東仙台間に貨物線開通 
* 1962年(S37)4月27日、特急「ひばり」、東北本線の上野~仙台間で運転開始(「仙台市史 年表」P122)
* 1962年(S37)6月30日、東北本線の山廻線(利府駅経由)を廃止
* 1963年(S38)4月、修学旅行専用の「おもいで号」誕生
* 1963年(S38)10月、市内大梶(仙台駅・東仙台駅中間)に電車基地(または仙台運転所)を設置 / S41年4月全面完成
* 1964年(S39)3月20日、上野~仙台間の全急行を電車化
* 1965年(S40)10月1日、特急「ひばり号」(仙台~上野)を2往復に増便、特急「やまびこ号」(盛岡~上野)運転開始 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P562、P564、P566~567、P571/「重訂 宮城県郷土史年表」P520、P589、P598、P605/Wikipedia「東北本線優等列車沿革」(2020年7月)/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P41、P55/「仙台市史 年表」P122/「仙台市史 特別編4 市民生活」P201  「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P566に、仙台上野間急行電車の写真 
国鉄(東北本線) 3 旅客・貨物輸送  1966年(S41)~1985年(S60)  * 1966年(S41)8月1日、清水小路多賀城線との立体交差完成(北目町立体交差)
* 1967年(S42)10月1日、東北本線、岩沼~福島駅間が複線電化して開通 / 同日に、東北本線特急の東京駅乗り入れも実現
* 1967年(S42)10月1日、特急「ひばり」「やまびこ」が、東京駅に乗り入れ
* 1967年(S42)10月、電車急行登場(「市民の戦後史(仙台市)」P203)
* 1968年(S43)8月19日、東北本線、東京~青森間全線電化と複線化を完了(「菅家年表」P62)
* 1968年(S43)10月、特急「はつかり」が全列車東北本線経由となる(Wikipedia「はつかり(列車)」)
* 1968年(S43)10月1日、特急「ひばり」仙台~東京間、3時間50分に(40分間短縮)
* 1972年(S47)3月15日、長距離普通列車228号(青森~上野間)引退
* 1980年(S55)11月24日、ドカ雪で、東北線27時間全面ストップ
* 1982年(S57)6月23日、東北新幹線開業(大宮~盛岡間)
* 1982年(S57)11月15日、特急「はつかり」、新幹線開業により運行区間を盛岡駅 - 青森駅間に短縮(Wikipedia「はつかり(列車)」)
* 1982年(S57)11月22日、特急「ひばり」(上野~仙台)お別れ運転
* 1984年(S59)1月4日、仙台~上野間にお座敷列車
* 1984年(S59)2月20日、東北線郡山行普通列車で禁煙実施

   ~以上、1989年(H1)まで~ 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P567~568/「仙台市史」P133/「重訂 宮城県郷土史年表」P627、P635/「続・ 宮城県郷土史年表」P7、P153、P172、P173/Wikipedia「東北本線優等列車沿革」(2020年7月)/[NHK仙台放送局60年のあゆみ」P56/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P62/「市民の戦後史(仙台市)」P203  「市民の戦後史(仙台市)」P181(清水小路多賀城線との立体交差)/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P567に、特急「ひばり号」の写真/「市民の戦後史(仙台市)」P203(電車急行試運転、最後の三重連蒸気機関車~岩手・中山峠)/「市民の戦後史(仙台市)」P220(走行する電車特急はつかり) 
国鉄(東北本線) 1 旅客・貨物輸送
 
1887年(M20)~1945年(S20)夏  <日本鉄道時代>
* 1887年(M20)12月15日、上野~仙台~塩釜間、開通 / 合わせて仙台駅をはじめ白石、大河原、岩沼、岩切、塩釜等の各駅営業を開始 (当時は私鉄・日本鉄道)
* 1887年(M20)12月20日、上野~仙台間の開通式挙行
* 1891年(M24)9月1日、日本鉄道の仙台~青森間が全線開通

<国有鉄道>
* 1906年(M39)公布の鉄道国有法により、同年11月1日に国有化された(所管はM41年12月内閣鉄道院、T9年5月に鉄道省)
* 1920年(T6)6月、仙台駅に急行列車登場(東北線経由と常磐線経由の上野~青森間に各1往復 / 上野・仙台間の所要時間は、東北本線経由8時間12分、常磐線経由8時間1分 / 料金(上野~仙台)は運賃(3等)2円62銭、急行券50銭(「仙台市史 特別編4 市民生活」P200)

<戦時中>
(所管は鉄道省、S18年11月運輸通信省、S20年5月運輸省)
* 1939年(S14)11月15日、国鉄ダイヤ改正、旅客列車を従とし、貨物輸送を主とする(戦時輸送完遂)
* 1940年(S15)8月1日、上野・青森間急行103・104列車の食堂車廃止(食堂車を傷痍軍人用の病院車に改造)
* 1940年(S15)8月、仙鉄局、見学旅行も一切認めない方針発表(このころ、すべての列車の乗車率が定員の2倍以上)
* 1940年(S15)9月16日、駅の表示板から英語表示が消える
* 1942年(S17)10月6日閣議決定、東北本線は石炭輸送第一、北海道の石炭を京浜の軍需工場へ輸送
* 1943年(S18)2月、東北本線、食堂車、寝台車を全廃
* 1944年(S19)4月1日、決戦輸送体制、運賃値上げと厳しい旅客抑制、(乗車券を買うのに2日も3日も並んで待つ)
* 1944年(S19)4月現在、上野~青森間の急行列車は、常磐線経由の1往復のみ(9月末、唯一の急行列車も廃止)
* 1944年(S19)4月25日~6月10日、疎開輸送強化期間(東北本線、常磐線の輸送計画は、14万8791人)
* 1944年(S19)7月上旬~9月上旬、学童集団疎開輸送
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で、仙台駅、仙台鉄道局など焼失 
<日本鉄道時代>「重訂 宮城県郷土史年表」P278/「仙台市史 年表」P86、P87、P93/「仙台市史 特別編4 市民生活」P200

<戦時中> 「ものがたり東北本線史」P511、P516、P518、P529、P530、P531、P546/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P25 
 
国鉄(鉄道省時代) 2 戦時輸送(貨物優先体制)  1938年(S13)~1943年(S18)  <戦時中>
(所管は鉄道省、S18年11月運輸通信省、S20年5月運輸省)

<戦時輸送>(「ものがたり東北本線史」より)
* 1938年(S13)6月、鉄道輸送は旅客より貨物重点方針決定、戦時輸送優先(全国鉄道局長会議)
* 1938年(S13)、仙台鉄道局内に第1鉄道輸送司令部仙台支部設置(司令官は大佐)、1943年(S18)に仙台地区司令部となり(司令官は大佐)、仙台駅、弘前駅には停車場司令部が置かれた
* 1938年(S13)10月1日、銑鉄局管内で「銃後弁当」売り出し(15銭)
* 1939年(S14)11月15日、ダイヤ改正、旅客を従、貨物列車を主とする
* 1940年(S15)9月16日、駅の表示板から英語の表示が消える(菅家年表P25)
* 1942年(S17)10月6日、閣議、戦時陸運非常体制を決定、東北本線は石炭輸送第一(北海道の石炭を京浜の軍需工場へ輸送)
* 1943年(S18)2月28日、国鉄乗客指定制実施(厳しい旅行制限)、食堂車、寝台車完全廃止
* 1943年(S18)3月10日、仙鉄局、11本の貨物列車新設(3月11日、石炭専用列車スタート)
 
「ものがたり東北本線史」P507~P532/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P25   
国鉄(鉄道省時代) 3 戦時輸送(決戦輸送)  1944年(S19)  <戦時輸送>(「ものがたり東北本線史」より)
* 1944年(S19) この年、国鉄は徴用者、一般疎開、工場疎開、学童疎開、北海道からの石炭輸送、戦時物資などの輸送を重点とした / 戦時貨物輸送増強のため、国鉄長町ヤードを強化 / 4月からは「決戦輸送」

<女性増加>
* 1月、国鉄現場に女性が急激に進出(仙台局管内の8%に) / 出札、改札、小荷物、車掌、列車掃除手、踏切警手など
* 3月、女性が、貨物掛、荷扱手など重労働の職種にも

<急行列車など廃止>
* 4月1日、急行半減、寝台車廃止、一等寝台、食堂車廃止
* 4月現在、上野~青森間の急行列車は、常磐線経由の1往復のみ
* 9月、唯一の急行列車も廃止(昭和20年11月20日、仙鉄の急行列車復活)

<疎開輸送>
* 3月28日、東北地方初の疎開輸送用臨時列車(常磐線まわり一関行き)
* 4月25日~6月10日、疎開輸送強化期間

<旅行制限>
* 4月1日、100キロ以上の長距離旅行制限 / 旅行者は、警察の「旅行証明書」が必要
<旅行制限:以下、Wikipedia「決戦非常措置要綱」より> 
旅行制限では100km以下の乗車券の発売枚数の割当による数量の制限のほか、100km以上(乗車時間2時間以上)の遠距離列車の切符について居住地の警察署発行の旅行証明書がないと購入できないようにする措置(買い出しや遊興旅行の制限が目的)が東京都区内・横浜市内・川崎市内駅発に限り試行されたが、警察署の第一線事務増加からの反対から5ヶ月後に廃止され全国施行はされなかった。(上田卓爾「戦時下における旅行制限とガイドブックについて」)

 <これ以降は、項目「国鉄(戦後)」へつづく>
 <戦後の東北線関連は、項目「国鉄(東北本線)」へ> 
「ものがたり東北本線史」P507~P532/Wikipedia「決戦非常措置要綱」   
国鉄(常磐線) 戦前・戦後  昭和末年まで  <戦時中>
* 1944年(S19)4月現在、上野~青森間の急行列車は、常磐線経由の1往復のみ(9月または12月、唯一の急行列車も廃止)

<戦後>
* 1947年(S22)6月28日、仙台鉄道管理局管内、急行復活し常磐線経由の急行1往復(207・208列車)運転開始
* 1976年(S51)4月20日、交通ゼネストで、常磐線全面運休
<戦後・電化>
* 1967年(S42)10月1日、常磐線電化完成
 
Wikipedia「東北本線優等列車沿革」(2020年7月)/「重訂 宮城県郷土史年表」P635   
国鉄(仙山線) 戦前・戦後  1926年(T15)~昭和末年まで  * 1926年(T15)4月、着工
* 1929年(S4)9月24日(または29日)、仙台~愛子間で営業開始(9月29日、北仙台駅開業)
* 1931年(S6)8月30日、愛子~作並間開通
* 1932年(S7)7月25日、東仙台駅開設
* 1934年(S9)10月17日、仙山西線、羽前千歳~作並間開通
* 1936年(S11)1月28日、面白山トンネル工事で建設列車が鉄橋から転落、60余人死傷す
* 1937年(S12)11月10日、作並~山寺間の工事完了し、全線開通(仙台~作並~山寺~山形)、全線で電気機関車運転開始

<戦後>
* 1957年(S32)7月1日、交流電化完成(日本初)
* 1957年(S32)9月5日、仙台~作並間、交流電化による運転開始
* 1958年(S33)2月24日、世界初の交直両用電車の試運転開始
* 1960年(S35)11月1日、仙山線全線交流電化が完成(日本初の全線交流電化) 
* 1984年(S59)2月1日、国見駅・北山駅開業(当初は無人駅)
* 1986年(S61)7月7日、仙山線に自動式ドア採用
* 1987年(S62)3月21日、西仙台ハイランド駅開業
* 1988年(S63)11月18日、東照宮駅開業 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P564/「仙台市史 年表」P105、P109、P120、P121、P135/「仙台市史10 年表」P284/「重訂 宮城県郷土史年表」P416、P427、P450、P460、P585、P598/「仙台年表」P200、P203、P207/「続・ 宮城県郷土史年表」P172、P208、P220、P253/「新・目で見る仙台の歴史」P147(カラー、北仙台駅)  「市民の戦後史(仙台市)」P99(S32年9月、祝交流電化と表示かかげた電気機関車、熊ヶ根鉄橋を行く電気機関車)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P201(祝交流電化と表示かかげた電気機関車) 
国鉄(仙石線) 国有化以降  1944年(S19)5月~  <これ以前は、項目「宮城電鉄」参照>

* 1944年(S19)5月1日、宮城電鉄が国有化され、仙石線となる
・ 戦時中、沿線にある原町苦竹の陸軍造兵廠や多賀城の海軍工廠への通勤者で大混雑(いずれも従業員が1万人あり24時間稼働)、電車はフル稼働して対応、国策により1944年(S19)に国鉄が買収した(「戦争のころ 仙台、宮城」P163)

<戦後>
* 1952年(S27)、仙石線東七番丁駅の廃止
* 1956年度(S31)、赤字2億3000万円
* 1964年(S39)5月8日、東京国電並みの混雑緩和のため、時差出勤呼びかけ
* 1966年(S41)1月20日、苦竹踏切、立体交差完成
* 1966年(S41)3月15日、陸前原町~西塩釜間、複線化工事起工式
* 1968年(S43)3月22日、陸前原町~多賀城間の複線が完成 / ラッシュ時の電車運転が6分間隔に
* 1975年(S50)2月15日、新型電車始発式
* 1980年(S55)11月24日、ドカ雪で、仙石線戦後初めて不通
* 1983年(S58)10月2日、仙石線に特別快速列車
* 1985年(S60)10月24日、仙台~苦竹間(3.9キロ)の地下化工事起工式
* 1986年(S61)3月20日、多賀城駅の新駅舎完成
* 2000年(H12)、仙石線地下新線開業・あおば通駅開設 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P563、P567/「重訂 宮城県郷土史年表」P614、P623、P624、P638/「仙台市史 年表」P134/「続・ 宮城県郷土史年表」P37、P120、P166、P196、P203/仙台市HP「仙台市のあゆみ」/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P163  「新・目で見る仙台の歴史」P173(S21年10月頃、鈴なりの満員電車)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P99(S50年、カラー、走行する電車)/同P121(H12、走行する電車、カラー) 

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陸奥国分尼寺跡
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