項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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ネオンサイン | 省エネ消灯 | 1980年(S55) | * 1980年(S55)6月16日、省エネで、ネオン9割近く消灯 | 「続・ 宮城県郷土史年表」P112 | |
ネオンサイン | オイルショック後復活 | 1975年(S50) |
* 1973年(S48)10月25日、石油ショック発生 * 1973年(S48)11月5日、石油ショックで東京など大都市のネオンが消える(「菅家年表」P67) * 1974年(S49)1月16日、電力の使用制限始まる(16年ぶり)、ネオン、広告塔、テレビ放送時間短縮(深夜放送禁止)(「菅家年表」P68) * 1974年(S49)10月6日、東京・銀座にネオンが復活(「菅家年表」P68) * 1975年(S50)11月、オイルショック以来消えていた仙台のネオンが点灯復活(「続・ 宮城県郷土史年表」P47) |
菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P67、P68/「続・ 宮城県郷土史年表」P47 | |
ネオンサイン (戦後復活) |
戦後復活 | 1950年(S25) |
* 1949年(S24)3月、(全国)ネオン広告を全面解除 * 1950年(S25)12月、区画整理に伴う丸光(3階建)が仙台駅前(電車通り)に完成 / 東北で戦後始めてのネオンサインが点灯 * 1951年(S26)2月、電力事情悪化 / ネオン、エレベーターなどの使用禁止 |
菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P43/仙台駅前商店街振興組合の歩み(年表)/「仙台あのころこのころ八十八年」P251 | 53-82(S26~27年頃の仙台駅前夜景) |
ネオンサイン(全廃) | 全廃決定 | 1939年(S14) |
* 1937年(S12)8月24日、国民精神総動員実施要綱を決定 * 1939年(S14)6月16日、国民精神総動員委員会が生活刷新案を決定 (遊興営業の時間短縮、ネオン全廃、中元歳暮の禁止、学生の長髪やパーマネント禁止、など) 国民精神総動員運動は、1937年(S12)日中戦争勃発を受け「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」を方針とした国民運動が企図され、開始された |
岩波ブックレット「年表昭和史」P12、P16 | |
ネオンサイン | 仙台では・・・ | 1928年(S3)~ |
* (仙台では)ネオンや電飾が目立ってくるのは、1928年(S3)以降 * カフェや映画館の隆盛時代を迎え、またビルラッシュと三越が進出した1933年(S8)から1935年(S10)にかけては特に電飾が盛んであった。東京銀座の銀ブラにならって番街(東一番丁)を散策する人が多く「番ブラ」の名を定着させていった。 |
「番丁詳伝」P197 |
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