項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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陸海軍の工場(宮城県内) | 多賀城海軍工廠 |
<海軍工廠> * 1942年(S17)10月30日、多賀城海軍工廠、開庁式(「宮城県史7(警察)」のうちの「兵事」末尾「仙台部隊関連年表」) * 1942年(S17)10月30日、多賀城海軍工廠開庁式 (「重訂 宮城県郷土史年表」P492) * 旧多賀城村のほぼ4分の1に当たる500haを強制買収して建設 南地区の機銃部は、ゼロ戦の20ミリ機銃弾、北地区の火工部では爆弾、焼夷弾、親子爆弾、照明弾など * 1945年(S20)3月から、松島町高城地区の丘陵地に地下分工場を建設中に敗戦(以上、「戦争のころ 仙台、宮城」P157) ・ 宮城県内の陸海軍の3工場では、それぞれ1万人が働く(徴用工や学徒勤労動員の学生生徒が24時間体制で)(「戦争のころ 仙台、宮城」P173) 「戦争のころ 仙台、宮城」P159~160に、土地所有者からの強制的な用地取得と移転の強要、土木作業員には宮城刑務所の服役囚や強制連行された朝鮮半島からの労働者(728人)も含むこと、残酷な強制労働につき記述あり |
「宮城県史7(警察)」のうちの「兵事」末尾「仙台部隊関連年表」P711/「重訂 宮城県郷土史年表」P492/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P157、P159~160、P173 | ||
陸海軍の工場(宮城県内) | 第一海軍火薬廠 |
<海軍火薬廠> * 1938年(S13)1月9日、海軍火薬廠を柴田郡船岡町に設置(「宮城県史7(警察)」のうちの「兵事」末尾「仙台部隊関連年表」) * 1938年(S13)1月9日、海軍軍需部特殊工場、柴田郡船岡村に設置 (「仙台年表」P208) * 1939年(S14)8月1日、船岡村に海軍火薬支廠設置 (「仙台年表」P209) * 1939年(S14)、船岡の第一海軍火薬廠完成。 2万坪(約6.6ha)あり東北最大の火薬製造工場(「戦争のころ 仙台、宮城」P156) ・ 海軍は、平塚に第二、舞鶴に第三火薬廠を持っていた ・ 宮城県内の陸海軍の3工場では、それぞれ1万人が働く(徴用工や学徒勤労動員の学生生徒が24時間体制で) ・ 跡地は、陸上自衛隊、仙台大学が使用(2020年現在)(以上、「戦争のころ 仙台、宮城」P157、P173) |
「仙台年表」P208、P209 /「宮城県史7(警察)」のうちの「兵事」末尾「仙台部隊関連年表」P704/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P156~157、P173 |
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陸海軍の工場(宮城県内) | 陸軍造兵廠(東京第一陸軍造兵廠仙台製造所) |
<陸軍造兵廠> * 1941年(S16)4月5日、陸軍造兵廠を仙台市原町に設置(「宮城県史7(警察)」のうちの「兵事」末尾「仙台部隊関連年表」) <編者注>陸軍造兵廠の正式名称は「東京第一陸軍造兵廠仙台製造所」(場所は、戦後の陸上自衛隊苦竹駐屯地) * 1941年(S16)4月5日、原町陸軍工廠の新設と呼応し、原町工業都市建設土地区画整理(520ha)認可 (「重訂 宮城県郷土史年表」P432)/ ただし整備は戦後に持ち越された / 関連して、S16年に仙塩街道(仙台~塩釜)開通(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P365) * 1942年(S17)から稼働、4つある工場では戦闘機の銃弾や薬きょうの箱詰、旋盤、プレス加工。 のち幸町にも第二工場を建設(「戦争のころ 仙台、宮城」P157) ・ 宮城県内の陸海軍の3工場では、最盛期にはそれぞれ1万人が働く(徴用工や学徒勤労動員の学生生徒が24時間体制で)(「戦争のころ 仙台、宮城」P157) |
「宮城県史7(警察)」のうちの「兵事」末尾「仙台部隊関連年表」P706/「重訂 宮城県郷土史年表」P432/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P365/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P157、P173 |
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