項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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陸奥国分寺跡 | 国の史跡に指定 | 1922年(T11) |
【宮城県HPの「指定文化財〈史跡〉陸奥国分寺跡」より】 「陸奥国分寺は、聖武天皇の詔により全国に建てられた国分寺の一つである。多賀城から約10km南にあり、広瀬川が形成した最下段の河岸段丘に立地している。昭和30年から5年間の発掘調査によって、方242.4mと推定される寺域に南門・中門・金堂・講堂・僧房が南北中軸線上に並んでいること、中門と金堂は複廊式の回廊で結ばれていること、さらに塔は金堂の東にあり、単廊で囲まれていることなど、大規模な伽藍配置が明らかになった。また、文献にある「貞観11年(869)の大地震」や「承平4年(934)の落雷」による被害の痕跡も確かめられている。現在、寺域には陸奥国分寺薬師堂および白山神社が建つ。」 * 1922年(T11)10月12日、陸奥国分寺跡が国の史跡に指定 |
宮城県HPの「指定文化財〈史跡〉陸奥国分尼寺跡」 | |
陸奥国分寺跡 | 薬師堂、国重要文化財に指定 | 1903年(M36) |
【宮城県HPの「指定文化財〈重要文化財〉陸奥国分寺薬師堂」より】「伊達政宗が泉州(大阪府)の工匠駿河守宗次等を招いて再建したもので、慶長12年(1607)に竣工した。屋根は入母屋造、本瓦葺。法5間、向拝をつけ廻縁をまわす。妻飾りには素木造の簡潔・雄勁な構成美がみられる。内部は内陣と外陣とを峻別して、奥の須弥壇上に宮殿形の厨子が安置されている。厨子は巧緻な架構で、豊かな装飾により燦然たる光彩を放っている。 大崎八幡宮社殿とともに、仙台市における桃山建築の双璧である。「造立慶長十二年丁未十月廿四日」の棟札がある。」 【公益財団法人仙台観光国際協会仙台観光情報サイト「陸奥国分寺薬師堂」より】「伊達政宗公の命により再建された陸奥国分寺の金堂です。慶長12(1607)年落慶した現存する仙台最古の木造建築物の一つで、国指定重要文化財です。本尊薬師如来に因み薬師堂と通称されています。 天平年間に聖武天皇の勅願に基づいて建立された金光明四天王護國之寺のうち最北に位置する奥州鎮護の根本道場です。」 * 1607年(慶長12年)、国分寺薬師堂の再興造営なる * 1903年(M36)4月15日、薬師堂、国の重要文化財に指定(文化庁、文化財データベース)/ 桃山時代の堂宇、白木造り / 明治36年以来国宝(史跡)に指定されていたが、戦後文化財保護法により改めて、重要文化財に指定(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P216) * 発掘調査(S30~33年、毎年8月に発掘) <参考資料> ・ 「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P215~216(薬師堂の堂宇の特徴など)、P223~224(国分寺跡の概要説明、発掘踏査など) |
宮城県公式HP「指定文化財〈重要文化財〉陸奥国分寺薬師堂」/「仙台市史年表」P25/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P215~216、P223~224/「目で見る仙台の歴史」P195 | 「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P216の写真63(薬師堂)/同P223(発掘調査)/「目で見る仙台の歴史」P19(国分寺跡、金堂跡)/同P190(薬師堂ごまたき)/同P195(国分寺跡発掘調査)/同P38~39(薬師堂の社殿、厨子、護摩壇」、仁王門)/「市民の戦後史(仙台市)」P83(国分寺跡一帯空撮、出土した瓦、発掘現場)/「市民の戦後史(仙台市)」P225(2月13日の薬師堂ごま焚き) |
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