仙台よみとき用語年表
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医療機関 東北労災病院  1954年(S29)  財団法人労災協会東北労災病院として、台原で発足
・ 労働災害による負傷に対する診療
・ 特に、脊髄損傷に対する診療と機能回復の指導で有数

* 1953年(S28)12月15日、「東北労災病院」落成式
* 1954年(S29)1月25日、開院、診療開始
* 1957年(S32)7月、労働福祉事業団の経営となる
* 1965年(S40)7月、労働者災害補償保険リハビリテーション施設として50床設置、作業療法棟、回復棟完成
* 1983年(S58)2月、新病棟落成式 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P398/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P733~734/「重訂 宮城県郷土史年表」P569/東北労災病院HP/Wikipedia「東北労災病院」/「続・ 宮城県郷土史年表」P158   
医療機関 仙台社会保険病院  1952年(S27)  結核対策として全国社会保険連合会が設置
* 1952年(S27)8月、堤町に開院(結核病床129)
* 1955年(S30)過ぎると、患者急速に減少
* 1960年(S35)、一般病床も併置 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P398/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P733   
医療機関 宮城第一・第二病院  1956年(S31)/1946年(S21)  ともに、社会保険連合会による病院
<宮城第一病院>
* 1956年(S31)1月、名掛丁に開院(現地にあった個人病院を買収、10床)
* 1959年(S34)に、150床
* 1960年(S35)、病棟新築(地下1階、地上4階、200床)
* 1963年(S38)、第2病棟(地下1階、地上5階)完成
<宮城第二病院>
* 1946年(S21)、長町西浦に開院(20床)
* 1961年(S36)?、病棟新築(鉄筋コンクリート5階建て、200床)
 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P398/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P732~733   
医療機関 宮城野病院  1951年(S26)?~2016年(H28)  国家公務員共済組合連合会が運営 / 戦後、国家公務員の結核患者治療対策のため設立(市内原町小田原高平)

* 1953年(S28)3月、開院(148床)と共に満床
* 増床を続け。1954年(S29)には、284床となる
* 1955年(S30)頃を境に結核患者目立って減少、一部を一般病床に転用
* 1968年(S43)ころ、新病棟建設(鉄筋コンクリート6階建)
その後、東北公済病院の分院となり、2016年(H28)3月末で閉院し、東北公済病院に移転統合 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P398/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P732   
医療機関 東北公済病院  1951年(S26)~  国家公務員共済組合連合会が運営
* 1951年(S26)3月、開設(5科、40床 / 元櫓丁、配炭公団の建物を買収)
* 1958年(S33)7月、病棟新築(地下1階、地上6階) / 9科、200床 / 妊婦ドック、小児ドック、未熟児センターなど特色ある施設や相談所を開設 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P398/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P731~732   
医療機関 仙台逓信診療所/仙台逓信病院  1922年(T11)/1942年(S17)  * 1922年(T11)、10月1日「仙台逓信診療所」が東二番丁に設置される
* 1942年(S17)、「仙台逓信病院」と改称
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で焼失 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P398/「仙台市史 年表」P101   
医療機関 仙台鉄道病院  1921年(T10) 
* 1919年(T8)12月、仙台鉄道管理局開局に伴い、鉄道治療所が清水小路に開所 / 目的は、公傷患者の治療
* 1921年(T10)、仙台鉄道病院
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で全焼
* 1948年(S23)12月、再建
* 1950年(S25)、看護婦養成開始(仙台鉄道病院看護婦養成所認可)
・ 国鉄民営化にともない「JR仙台病院」となる 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P398   
医療機関 光ヶ丘スペルマン病院  1955年(S30)  * 1955年(S30)9月、開院(カトリック仙台司教直属の病院、財団法人愛世会経営 原町小田原) / 当初は、結核患者中心、その後は一般患者の診療も  「仙台市史 特別編4 市民生活」P398   
医療機関 仙台区立施薬院  1883年(M16)  * 1883年(M16)、仙台区立施薬院(貧民施庵所)開設 / 病院に行けない貧しい人々のために、開業医の鈴木亦人らの尽力で、櫓丁の東京庵跡に建設 / 仙台区で発行する施療券を持った患者の治療が目的 / 医者はすべて無報酬で交代で診療
* 1885年(M18)6月、仙台区会の決議で廃止 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P397   
医療機関 西多賀病院  1934年(S9)/1947年(S22)  <前身>
* 1934年(S9)10月、仙台市が結核専門診療所、仙台市立西多賀病院を設置
* 1943年(S18)4月、日本医療団に統合され、日本医療団西多賀病院となる
<国立へ>
* 1947年(S22)4月、厚生省に移管、国立西多賀病院となる * 1954年(S29)、新病棟完成 / その後、玉浦療養所を統合

結核患者の減少と共に、カリエス、心身障碍児収容施設へ
* 1957年(S32)4月、玉浦診療所内にベッドスクール開設
* 1967年(S42)3月、重症心身障碍児収容
* 1968年(S43)1月、進行性筋萎縮症患者収容 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P396/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P729~730  「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P730に、西多賀ベッドスクールの卒業式写真/「市民の戦後史(仙台市)」P95(S31年3月、西多賀ベッドスクール誕生)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P396(西多賀療養所療養所兼教室) 
医療機関 仙台厚生病院  1943年(S18)  * 1943年(S18)、財団法人生命保険厚生会が結核病院として仙台厚生病院を開設  「仙台市史 特別編4 市民生活」P396   
医療機関 県立愛宕病院  1950年(S25)  * 1950年(S25)、性病治療のため、県立愛宕病院、設立  「仙台市史 特別編4 市民生活」P396   
医療機関 避病院/仙台市伝染病院  1881年(M14)/1895年(M28)/1899年(M32)  * 1881年(M14)、仙台市に腸チフス流行、外記丁の宿舎にチフス患者を収容する避病院開設
* 1882年(M15)、コレラ大流行し、台原にも避病院開設
* 1890年(M23)、コレラ発生し、北山称覚時に患者を隔離
* 1895年(M28)、日清戦争帰還兵が持ち込んだコレラが全国的に流行、仙台でもコレラ罹患した兵隊を小田原避病院(宮城野原につらなる原野の一角に避病院設置)に収容、軍では鷺ヶ森にも避病院つくり、善応寺、仙岳院も避病院として使用
* 1899年(M32)4月1日、仙台市、東九番丁の孝勝寺裏の伊達家の土地1800坪に「仙台市避病院」を整備し患者を収容 / のち、1922年(T11)に「仙台市伝染病院」と改称

 → 項目「医療機関」の小項目「仙台市立榴ケ岡病院」へ 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P395/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P717/「仙台市史 年表」P90   
医療機関 宮城病院  1879年(M12)  <施薬所→共立社病院→宮城病院→宮城医学校附属病院→再び宮城病院→東北帝国大学医学専門部附属医院>

* 1869年(M2)、仙台藩によって創設された医学校が、旧町奉行役宅に移り「施薬所」と称し、医者の養成と診療にあたる / 1971年(M4)7月、廃藩置県とともに廃止
* 1972年(M5)5月、中田斉と石田真、宮城県初の病院「共立社病院」を南町に創設(以上、「仙台市史 特別編4 市民生活」P394)
* 1879年(M12)5月1日、「共立社病院」が宮城県に移管される。
* この後に国分町に移転し、
* 1879年(M12)7月、病院を「宮城病院」、附属学舎を「宮城病院附属医学校」と改称 / コレラなど伝染病予防と治療に注力、県内の開業医対象に各地で医学講習会実施
* 1882年(M15)7月、宮城病院附属医学校が「宮城医学校」と改称 / 内科・外科・眼科
* 1882年(M15)9月、東二番丁に移転 
* 1884年(M17)7月1日、宮城病院が「宮城医学校附属病院」となる
* このあとに元貞坂に移転し1884年(M17)9月29日に開院
* 1887年(M20)3月、宮城医学校廃止(文部省に移管)
* 1887年(M20)4月1日、附属病院は、再び「宮城病院」として開院(県が経営) / 旧制二高医学部の臨床実習場を兼ねる
* 1911年(M44)4月6日、宮城病院が北4番丁に移転(本館新築)、

* 1913年(T2)4月1日、宮城病院、東北帝国大学に委譲され、「東北帝国大学医学専門部附属医院」となる 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P394~395/「仙台市史 年表」P83、P84、P85、P86、P95、P96   
医療機関 仙台市立榴岡病院  1922年(T11)  伝染病隔離専門病院
* 1922年(T11)5月1日、「仙台市伝染病院」が「仙台市立榴岡病院」と改称して常設病院となる(木造平屋建て)

* 戦後、赤痢大流行 / 患者・保菌者が、S21~S22に県内約3000人、仙台市1000人 / S25~S27に連続して爆発的に発生し畳敷きの部屋まで病室に転用

* 1952年(S27)12月~1955年(S30)5月、3期に分け増改築 / 木造平屋6棟に代わって完成
* 1957年(S32)1月、増築完成(病床、計106床に)
・ 1960年(S35)の赤痢患者・保菌者の収容数は696人(前年度の倍)/ 以後、患者ふたたび多く発生(原因は抗生物質耐性菌の出現、学校・職場を中心の大量集団発生)
* 1980年(S55)、榴岡病院廃止
 
「仙台市史 年表」P101/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P717~721/「仙台市史 特別編4 市民生活」P395  「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P718に、改築後の写真/「目で見る仙台の歴史」P182(S30年改築の病院)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P396 
医療機関 東北帝国大学医学部附属病院  1913年(T2)~1947年(S22)  * 1913年(T2)4月1日、宮城病院が東北帝国大学に委譲され、「東北帝国大学医学専門部附属医院」となる(のち「医学部附属病院」に)

 → これ以降は、項目「東北帝国大学医学部附属病院」へ 
   
医療機関 東北大学医学部付属病院/東北大学病院  1947年(S22)~   → 項目「東北大学医学部付属病院/東北大学病院」参照     
医療機関 仙台オープン病院(旧・鶴ケ谷オープン病院)  1976年(S51)/1986年(S61)   → 項目「仙台オープン病院」参照     
医療機関 仙台赤十字病院  1924年(T13)   → 項目「仙台赤十字病院」へ     
医療機関 仙台市立病院  1930年(S5)  * 1930年(S5)2月1日、開院、外来診療開始
    (東二番丁の旧裁判所庁舎を改造)

 → これ以降は、項目「仙台市立病院」へ 
   
医療機関 国立仙台病院  1945年(S20)   → 項目「国立仙台病院」へ     

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ハリストス正教会堂
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東一番丁百年祭大仮装行列
東二番丁尋常小学校
東二番丁通り(拡幅)
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光ヶ丘天使園
飛行船「雄飛号」
飛行大会
ひとにやさしいまちづくり条例
ヒトラーユーゲント一行が来県
日乃出映画劇場
ひらつか(東一番丁)
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広瀬川の清流を守る条例
広瀬通り
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兵事義会/銃後奉公会
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ペデストリアンデッキ
ヘレンケラー女史
奉安殿
防空演習
ポケットベル
歩行者天国(東一番丁)
ホテル
歩兵第4連隊
歩兵第104連隊
本土決戦体制
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マナスル登頂成功
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満蒙開拓
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宮城学院
宮城教育大学
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宮城県会議事堂(明治時代)
宮城県旗の図案
宮城県弘報誌「みやぎ」
宮城県県民の森
宮城県護国神社
宮城県社会福祉事業会館
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