項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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伝染病流行 | コレラ | 1882年(M15)/1895年(M28) |
* 1882年(M15)7月19日、仙台区でコレラ患者発生、大流行となる ・ 7月24日に宮城郡荒巻村台原に避病院設置 ・ 罹病者数930名のうち410人が死亡 (当時の仙台市人口は5万4585人) * 1895年(M28)7月19日~9月、小田原の考勝寺に収容されていた日清戦争復員軍人からコレラが発生し流行 ・ 9月5日に東十番丁裏に避病院設置 ・ 仙台市の死亡者数365名 (当時の仙台市人口は6万3952人) <参考文献> 「仙台あのころこのころ八十八年」P18~19「コレラ猛威を振う」 |
「仙台市史 年表」P84、P89/「仙台市史 特別編4 市民生活」P384 | |
伝染病流行 | 天然痘 | 1896年(M29) | * 1896年(M29)1月9日~5月、天然痘が流行、仙台市を含む宮城県の罹患者数766名 | 「仙台市史 年表」P89 | |
伝染病流行 | 腸チフス | 1909年(M42) | * 1909年(M42)、仙台で流行 | 「仙台市史 年表」P94 | |
伝染病流行 | 仙台・戦後流行 | 昭和20年代以降 |
<昭和20年代> * 1945年(S20)、腸チフス・パラチフス555人、ジフテリア480人、 * 1946年(S21)、腸チフス・パラチフス313人、ジフテリア293人、発疹チフス383人、戦後引き揚げ者とともに持ち込まれ流行した痘瘡が50人 * 赤痢は、S21~22年に仙台で約1000人、S25~S27には連続して爆発的に発生し、榴岡病院(仙台市立の伝染病専門病院)は、畳敷きの部屋まで病室に転用 ・ 結核、社会各層に蔓延、S27年ころから目に見えて患者数、死亡率とも減少 ・ 戦後、生活環境がもっとも悪化した時期で、ノミ、シラミ、ハエ、蚊、ダニなどが、S24年頃まで広範囲に発生、その後減少、ノミ、シラミ、ダニの類は全く姿を消した <米軍が空からDDT撒布> * 1946年(S21)7月~8月、軍用機で全市にはじめて撒布、蚊、ハエ、シラミなど害虫駆除にかなりの効果があったという / 同年冬には仙台駅頭で撒布 <昭和30年代以降> ・ 小児マヒ 1959年(S34)に34人、1960年(S35)に18人 / 生ワクチン普及で発生激減 ・ 赤痢、S35年の赤痢患者・保菌者の収容数は696人(前年度の倍)/ 以後、患者ふたたび多く発生(原因は抗生物質耐性菌の出現、学校・職場を中心の大量集団発生)、S37年11月名掛丁に集団赤痢発生、S41年4月の集団赤痢216人 ・ 腸チフス・パラチフス、29年以降は年間10人以下だったが、1967年(S42)9月、市内で集団発生あり患者57人 <榴ヶ岡病院(伝染病専門病院)・病名別収容患者数> 「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P720に、「S20~42年度の伝染病別収容患者一覧表」 ・・・ S24年以降は、赤痢患者数が全伝染病のトップ |
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P81、P672~676、P682、P718~721 |
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