項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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県営宮城野原陸上競技場 | 宮城県営/仙台市営 | 1951年(S26)/2009年(H21) |
<「宮城百科事典P1007」より> ・ 戦前の宮城野原練兵場跡地の宮城野原公園総合運動場にある陸上競技場 ・ 特に陸上競技場の走路はアンツーカー舗装で、当時東洋一といわれた程、整備された施設であった ・ オープン早々、S27年の第7回国体秋季大会の会場の1つとなった * 1951年(S26)8月10日、宮城県営宮城野原陸上競技場開場 * 1951年(S26)8月16日、日米陸上仙台大会開催 * 1952年(S27)10月19日~23日、第7回国民体育大会、宮城・福島・山形県で開催、宮城野原総合運動場が、宮城県の主会場となる(「重訂 宮城県郷土史年表」P559では、10月20日から5日間) ・ 開会入場式終了後、市内の女子高校生600人がマスゲーム「荒城の月」を披露 / その前夜、土井晩翠が晩翠草堂で永眠を場内アナウンスで伝える(「仙台市史 続編第2巻」P271) * 1956年(S31)10月6日、第40回全日本陸上競技大会開催 * 1988年(S63)7月16日、陸上競技場改築落成 <仙台市陸上競技場となる> * 2009年(H21)4月1日、仙台市に譲渡され、「仙台市陸上競技場」となる * 2017年(H29)4月、弘進ゴムが命名権を取得し、愛称が「弘進ゴム アスリートパーク仙台」となる |
「仙台市史10 年表」P326/「仙台市史 年表」P117、P118/「重訂 宮城県郷土史年表」P547、P551、P559、P583/「続・ 宮城県郷土史年表」P249/「宮城百科事典P1007」/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P271/Wikipedia「仙台市陸上競技場」2020年6月7日版 | 14-06、14-04/「目で見る仙台の歴史」P189(グラウンドで女子生徒たちのマスゲーム) |
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