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被占領時代の東一番丁周辺図(昭和23年~25年頃)
被占領時代の東一番丁周辺図(昭和23年~25年頃)

分類項目 米軍占領下の仙台 
タイトル 被占領時代の東一番丁周辺図(昭和23年~25年頃) 
写真番号 98-116 
場所 仙台市
映像内容 渡邊慎也氏作成「東一番丁と周辺に配置された米軍専用施設の配置図(昭和23~25年ころ)」
/ <国分町>には、「富国生命」ビルに宮城軍政府がおかれ、その斜め向かいには下士官クラブ(のちに、将校クラブになった?) / <南町>の「東邦生命」には、CID(米軍の軍事犯罪捜査機関)、電話局には昭和23年頃まで米軍通信隊が駐在 / <大町五丁目>の「明治生命ビル」には、CIDやCIC(防諜隊=日本の警察の協力を得て占領阻害行為を取り締まり、保安上必要な情報を収集した) / <東一番丁>には、「藤崎デパート地下」にPX=米軍専用売店、「ひらつか」は米軍専用のレストランおよびフードセンター、「大一楽器」2階に下士官専用キャバレーのセントクイーン、東一番丁にはこのほかクラブもあった
この配置図には載せていないが、<錦町>の通りに面した「仙台北警察署」には、米軍憲兵隊(MP)の分室がおかれ、 <北一番丁>の「仙台簡易保険局」には、進駐軍(米軍)の軍団司令部、のちには駐留軍の病院に使われた。「NHK仙台放送局」には、戦後しばらく進駐軍むけ放送局が同居した。 <仙台駅>南隣りにはRTO(米軍仙台地区鉄道輸送司令部)
撮影年代 1948年(S23)~1950年(S25)頃 
撮影年代判定根拠 元資料に記載あり
関連情報/参考文献 <関連映像>
20-03 (芭蕉の辻 昭和26年) → ・富国生命ビル(宮城軍政府)と、・将校クラブがあったビル
44-59 (東北経済親善会館) → ・進駐軍将校の社交クラブ
22-07 (画面左の東邦生命ビル=元・第一徴兵保険)→ ・CID=進駐軍犯罪捜査部 ・・・・ 44-37 (旧・第一徴兵館)と同じビルかは未確認 
16-44 (大町五丁目 昭和25年頃)→ ・明治生命ビル(画面左奥)にCIC(進駐軍防諜隊) ・藤崎(画面右)の看板「EXPORT BAZAAR」は進駐軍専用売店
20-01-01 (東一番丁藤崎付近 昭和26年)→ ・左下「RESTAURANT]看板は「ひらつか」(進駐軍専用レストランとフードマーケット)
44-35 → ・写る看板「ON LIMITS]は、進駐軍下士官専用キャバレー「セント・クイーン」の入り口
99-100 → ・ 「仙台簡易保険局」に進駐軍(米軍)の軍団司令部、憲兵隊司令部など
44-4144-31 → ・「仙台北警察署」にも米軍憲兵隊(MP)を常時配置
25-01 → ・NHK(仙台中央放送局)に、進駐軍放送局(AFRS)が同居(玄関内部に表示看板あり)
16-22 → ・RTO(米軍鉄道輸送司令部)
備考 <参照> 当サイト内「仙台よみとき用語年表」の項目「進駐軍(米軍)」、項目「駐留軍(米軍)」 
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号
画像ファイル名 sendai12146 
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