【解説】E  仙台七夕

昭和初期から、商店街がこぞって参加し、飾りや仕掛物の出来栄えを競う

藩政時代から続く仙台七夕は、大正後半期から昭和初めにかけての不況期には寂しいものとなっていたが、大町五丁目商店街の呼びかけで「不景気退散」を合言葉に、昭和3年に市内11の町内(商店街)が参加して復活、出来栄えを競う審査も行なわれた。

翌4年にはさらに4町内が加わり、年々豪華な飾りつけや個別の商店が「飾り物」や「仕掛物」を出すなどしてますます盛んになり、仙台名物として定着した。

戦争で中止

昭和12年7月勃発した日中戦争の影響で、昭和13年以降~太平洋戦争が終わるまで中止された。

敗戦翌年に復活

昭和20年7月、仙台は米軍による空襲で市中心市街地500ヘクタールが灰燼に帰すが、敗戦翌年の昭和21年8月、東一番丁の焼け跡に戻って商売を再開した商店主たち52戸(当時の全戸)が、バラック建ての街に市内のトップをきっていちはやく七夕飾りを掲げ、戦後復興の狼煙をあげた。


仙台七夕は、七夕飾りのほかに、動く仕掛物が多いのが特徴。

戦前期 E-15 七夕(戦前) 飾り物(1) 大正期~昭和ヒトケタ代
E-16 七夕(戦前) 飾り物(2) 昭和10年~12年
E-17 七夕(戦前) 仕掛物 昭和7年~12年
戦後 E-18 七夕(戦後) 飾り物 昭和21年~30年代が中心で、50年頃迄
E-19 七夕(戦後) 仕掛物 昭和25年頃~48年頃が大部分

関連資料E(仙台七夕) に、追加説明(文献の引用)あり

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