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東一番丁通り(仙台パテー館付近 大正期)
東一番丁通り(仙台パテー館付近 大正期)

分類項目 東一番丁(中央部) 
タイトル 東一番丁通り(仙台パテー館付近 大正期) 
写真番号 99-015 
場所 仙台市東一番丁(中央部)
映像内容 絵葉書「(仙臺名所) 東一番丁」 / 東一番丁通り(立町通り角以南)の街並み(奥が北方向)、右奥の白い洋館は「仙台パテー館」(松島座が明治45年に電飾洋風に改装され、名称変更した映画常設館) / 大正8年に再び「松島座」と改称(歌舞伎 →映画)、大正13年この洋館を焼失し、1年間休館となる / パテー館は東一番丁通り・立町通り東南角から2軒目にあった / 街灯はまだない / 電柱の腕木が3本 
/ 写真では、この辺りの店舗名(業種)が、「店舗配置図 東一番丁中央部と周辺部(大正末~昭和初期)」 98-130 、「店舗配置図 東一番丁(立町通角~大町通り角)(大正末~昭和初期)」 98-131 と一致しないので、大正前半期の可能性がある
撮影年代 1912年(M45)~1924年(T13)の間 
撮影年代判定根拠 ①仙台パテー館の洋館は明治45年から / ②仙台パテー館(大正8年からは松島座)の洋館は、大正13年に焼失
関連情報/参考文献 【「仙台映画大全集」仙台映画館変遷史】「松島座とパテー館の変遷」 明治18年2月、松島座開座 / 明治45年にエムパテー会社取締役の内山梅吉が入手し、電飾輝く洋館仕上げに大改造し、同年3月、仙台パテー館と改称し映画常設館となる / 大正8年7月、再び松島座と改称し、歌舞伎でオープン、大正13年12月、失火焼失し1年間休座 / 大正14年12月に再建し日活パテー館と改称 (<編者注> 分類A-02-02の写真 20-4499-018 では、松島座名ののぼり旗で、大正14年6月設立の「マキノプロダクション映画」上映や、『修羅八荒』(大正15年)上映が確認できるので、大正14年12月再建後もしばらくは「松島座」だったことが確認できる) / 昭和7年12月、仙台日活館に改称、一部改装して初の椅子席となる / 仙台空襲(昭和20年7月)で焼失し、休館 / 昭和21年12月、仙台日活劇場として開場
備考  
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号
画像ファイル名 sendai058 
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