【解説】G-25-03 無言の凱旋・慰霊祭

「無言の凱旋」とは、戦没将兵の遺骨帰還の意味。(ただし、骨箱の中には、「小石が1個だけ」など、遺骨が入っていない場合が少なくなかった)

写真の構成は、

  1. 戦没兵士の帰還 (昭和12年12月、大泉部隊戦没将兵の遺骨帰還の可能性が大)

    『重訂 宮城県郷土史年表』P460 →「昭和12年12月、北支戦線に武勲を樹てし故大泉中佐以下二百二十一柱の合同慰霊祭を、県市主催のもとに市公会堂にて挙行す。」

  2. ガダルカナル島戦没兵の遺骨が帰還(昭和18年7月)駅前で英霊奉迎式、追廻(おいまわし)練兵場で慰霊祭。

戦没兵帰還 少ない記録

宮城県史7の「仙台部隊関係年表」には、部隊の編制や出征(出発)、前線での移動、部隊の帰還の記録はあるが、「戦没兵士の帰還」や「慰霊祭」の記録はほとんど載っていない。(実際は、もっと多い筈)

「仙台部隊関係年表」にある、満州事変(昭和6年9月~)以降の「英霊帰還・慰霊祭」の記録は1回だけ

*昭和6年10月12日、満州事変に散華した勇士の遺骨仙台に到着、当日追廻練兵場に祭壇を設け慰霊祭を挙行。 → 関連資料G-25-03 にも記述有

日中戦争、太平洋戦争期の英霊(戦没将兵の遺骨)帰還や慰霊祭の記録は載せていない。 (18年7月のガダルカナル島戦の英霊奉迎式、慰霊祭の記録も載っていない)

「その他の資料」に載る慰霊祭の記録 →  関連資料 G-25-03(無言の凱旋・慰霊祭の記録)を見よ。

関連 部隊帰還の記録

「仙台部隊関係年表」にある、満州事変以降の「部隊帰還」の記録は、以下の2回

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