満州事変 | 仙台市史 特別編4「市民生活」P308~310の「十五年戦争の始まり」 | 「満州事変で日本側の最初の戦死者は、榴ケ岡の歩兵第四連隊の29名の兵士・・・・昭和6年10月12日、追廻練兵場で第二師団などの主催による合同慰霊祭・・・・遺族の胸に抱かれた遺骨の行列は、葬送行進曲の吹奏に送られて市内を行進した。沿道には人垣を造り、会場には列車や市電バスで詰めかけた約五万人が参列した(河北新報記事より)・・・・・合同慰霊祭は以降7回に及んだ」 |
宮城県史7の「兵事」末尾の「仙台部隊関係年表」P700 | 「昭和6年10月12日、満州事変に散華した勇士の遺骨、仙台に到着、当日追廻練兵場に祭壇を設け慰霊祭を挙行」 | |
日中戦争時 | 「重訂 宮城県郷土史年表」P460 | 「昭和12年12月、北支戦線に武勲を樹てし故大泉中佐以下二百二十一柱の合同慰霊祭を、県市主催のもとに市公会堂にて挙行す」 |
「重訂 宮城県郷土史年表」P479 | 「昭和15年11月17日、本事変勃発以来北中支各地に於て陣没せる管内出身将兵の慰霊祭を東二番丁小学校に於て行う。引き続き追廻練兵場の昭忠塔前に於て軍馬・軍犬・軍鳩の慰霊祭を行う」 |