【解説】G 戦時下
十五年戦争(満州事変~日中戦争~太平洋戦争)の時代、青壮年男子は次々と戦地へ出征 [60-09]、ふるさとの家族を思いながら命を落とした兵士は少なくない [16-65]。国内(銃後)のくらしも次第に戦時一色 [16-70] となる。仙台は太平洋戦争末期の空襲で中心部が焼け野原 [53-71] となった。
写真の構成
- G-25 出征・凱旋・慰霊
師団の出発 [04-01]、満州事変からの「凱旋」[65-02]、戦没将兵の帰還と慰霊祭 [16-62]
- G-26 仙台の兵営
第二師団の司令部 [98-084] と在仙各部隊の正門や兵舎など(主として絵葉書)[98-085]、[99-151]
- G-27 戦時下 仙台
戦時下の子供と大人のくらし。満州事変(昭和6年)以降戦時色が次第に濃くなり [16-08]、日中戦争開戦以降は物資や食糧が不足、教育は軍国主義一色 [16-63]、銃後のくらしは「欲しがりません勝つまでは」と戦争最優先となっていった。
- G-28 仙台空襲の被害
戦争末期の昭和20年7月10日、米軍による空襲で、仙台の中心市街地は一夜にして壊滅状態 [98-147] となった。