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多門師団凱旋①(第二師団)野砲兵第二連隊
多門師団凱旋①(第二師団)野砲兵第二連隊

分類項目 多門師団凱旋 
タイトル 多門師団凱旋①(第二師団)野砲兵第二連隊 
写真番号 65-02 
場所 仙台駅前広場
映像内容 絵葉書「(多門師團凱旋) 野砲第二聯隊凱旋門通過」を複写 

 仙台を衛戍地とする陸軍第二師団(多門二郎師団長)は、満州守備軍として満州駐箚(ちゅうさつ)中に起きた満州事変(昭和6年9月~)で、満州各地を次々に占領。 当時の市民は、その「武勲」に熱狂した / 翌7年3月、日本は満州(中国東北部)に傀儡国家「満州国」を建国
/ 昭和8年1月7日~13日、第二師団(多門師団長)が満州から仙台に「凱旋」、1月7日に野砲兵第二連隊が、翌8日に師団長ら司令部が仙台駅に到着、駅前広場で市民の歓迎をうけた
 
<写真の内容> 1月7日帰還した野砲第二連隊が凱旋門をくぐって、市内へ向かう / 右は出迎えの市民たち(「祝凱旋」ののぼりが見える) / 凱旋門上部には、日本と「満州国」の国旗
/ この時点(昭和8年1月)では、仙台駅舎の庇(向かって右棟の庇)が、まだ駅正面の前まで伸びていない
撮影年代 1933年(S8)1月7日 
撮影年代判定根拠 関連情報欄に記載
関連情報/参考文献 <満州と日本軍駐屯> 日露戦争勝利の結果、日本は旧満州(中国東北部)で権益(関東州の租借、長春以南の鉄道権)を獲得し、現地に日本軍部隊を置いた。 関東軍のほか、鉄道守備のために満州独立守備隊を置き、内地から陸軍の1個師団を交代で駐屯(駐箚)させた。関東軍司令官はこれら在満陸軍部隊全部を統括した。(東洋経済新報社「日本近現代史辞典」P122「関東軍」より抜粋)
/ 第二師団は、昭和6年と昭和12年に駐箚師団として派遣された。

<多門師団凱旋>
*  満州事変での第二師団と凱旋  → 写真データベースの【関連資料G-25-02(多門師団凱旋)】に記載
* 【「仙台市史10」(年表P280)】 →「1933年(昭和8)年1月7日、第二師団野砲兵第二連隊凱旋 / 同8日、多門師団長凱旋」
* 【河北新報 昭和8年1月7日朝刊】 第二師団の仙台帰還(凱旋部隊仙台駅到着日程と予定人員数)を記載(昭和8年1月7日~9日、同13日)
   【同 5日朝刊】ラジオで実況 5日午前9時5分、広島より「第二師団凱旋状況」宇品陸軍運輸部構内より中継
   【同 6日夕刊】NHK仙台局、7日の関連放送予定
    ・ラジオ実況中継「第二師団凱旋状況」午前11時50分~午後1時40分仙台駅頭より中継
    ・午後6時(子供の時間)に「凱旋歌と軍歌合唱」(仙台市内小学校児童連合合唱団)曲は、第二師団凱旋歌、陸軍行進曲、凱旋、敵は幾万ありとても、日本陸軍、連合合唱団は市内20校の5年男子(高等科は1年男子)1名づつを選出し、伴奏と指揮は師範学校の佐藤益喜先生
    ・午後7時30分、多門師団凱旋の夕(第一夜)民謡さんさしぐれ、ハットセ 対橋楼連中が放送
備考 <参照> 当サイト内「仙台よみとき用語年表」の項目「多門師団凱旋」 
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号
画像ファイル名 sendai10002 
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