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仙台七夕の飾り物 (東一番丁)(1)
仙台七夕の飾り物 (東一番丁)(1)

分類項目 七夕(戦前) 飾り物(1) 
タイトル 仙台七夕の飾り物 (東一番丁)(1) 
写真番号 99-040 
場所 仙台市東一番丁(中央部)
映像内容 絵葉書「牽牛織女の傳説を祝ふ。仙臺古来の名物 七夕祭 八月六。七日夜 東一番丁の雑踏」 / 場所は、東一番丁中央部(東一振興会)
/ 「わしが国さ」(昭和7年8月号)P8の写真と飾り物(東一振興会の統一装飾)と同じ / 道の奥が南方向 / 右端の「玉澤」は玉沢横丁南西角付近(関連情報欄参照)、その軒の上に仕掛物?(猿?がバイオリンを弾く) / その左に「袴」の看板 / その斜め下の白い看板(かみゆひ?)とその左脇の街灯柱、その左上の飾り物が、 99-041 右端の看板などと位置関係が同じ / 玉澤横丁は、戦後拡幅され広瀬通の一部となった
撮影年代 1932年(S7)8月 
撮影年代判定根拠 99-039 と同じ組絵葉書
関連情報/参考文献 【「わしが国さ」昭和7年8月号P8~10】 昭和7年、東一振興会(東一番丁の玉澤横丁角~大町通り角の間)の飾り付けは、「夏はうれしや」と題して各店が連合して装飾を行い、この年、仙台市内中心部17商店街の七夕競演会で「団体の部一等賞」だった(各店の仕掛物など詳しい記述あり)

<東一番丁・玉沢横丁南西角付近の「玉沢(玉澤)」> 玉沢横丁の名称の由来となったのは国分町・玉沢横丁南東にあった「玉澤本店」だが、大正~昭和7年頃には、東一番丁・玉沢横丁角付近にも「玉澤」があった。
裏付け(1) 昭和10年東二番丁小卒業生「小島会」作成の「大正時代の仙台番丁の想い出地図」では、南西角が「玉沢」だが、南西角は、大正期~昭和戦前期は「露月堂」なので、「玉澤」は南西角付近にあったと思われる (2)写真真ん中下に小さく写る「かみゆひ」看板が、 99-041 の右端看板「(かみ)ゆひ」と字体が同じなので、この写真は、東一番丁・玉沢横丁角付近から南方向を撮影
備考  
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号 14 
画像ファイル名 sendai7014 
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