分類項目 | 七夕(戦前) 飾り物(1) |
タイトル | 仙台七夕 東一番丁大通りの飾付けと飾り物「多門桃太郎」(1) |
写真番号 | 99-039 |
場所 | 仙台市東一番丁南部(大通り) |
映像内容 | 絵葉書「牽牛織女の傳説を祝ふ。仙臺古来の名物 七夕祭 八月六。七日夜 東一番丁の飾物」 / 左手前は廣瀬蒲鉾店で、庇の上に「多門桃太郎」の飾り物が見える。(大砲の上に桃太郎がまたがっている) / 前年(昭和6年)9月に勃発した「満州事変」で、仙台に司令部をおく「第二師団(多門二郎師団長)」が満州(中国東北部)の各地を次々と占領し、市民は戦勝気分に沸き、当時、第二師団長多門二郎中将は“時の人”であった / 第二師団は、5か月後(昭和8年1月)に仙台に「凱旋」するが、それを機に、「南町通り」は「多門通り」と名称を変えた / 飾り物は「多門桃太郎」(多門師団長)が「犬山一等兵」と「猿飛一等兵」を率いて満州に乗り込むという第二師団の満州占領を擬したもので、時代の空気を反映したものといえる / 仙台中心部の17商店街連合の審査で、個人の部5等賞を獲得した。また、東一番丁大通りは団体の部で3等賞 / 男性はカンカン帽が多い / 右端に、東一番丁「大通り」のスズラン灯(1基4灯型、わかもと看板付) 多門二郎師団長の写真は、 98-083 |
撮影年代 | 1932年(S7)8月 |
撮影年代判定根拠 | 【「わしが国さ」(昭和7年8月号のP9、P13】に、「多門桃太郎」の記述あり |
関連情報/参考文献 | <参考> 第二師団(多門師団)の凱旋(昭和8年1月に仙台に帰還)については (1) 写真データベースの分類G-25-02の【一覧】に、関連写真10枚あり (2) 写真データベースの【解説】G-25-02多門師団 (3) 写真データベースの【関連資料】 G-25-02 多門師団凱旋に、概要および帰還スケジュールなど詳述 (4) 当サイト内「仙台よみとき用語年表」の項目「第二師団(出兵記録)(4)」 に、満州事変時の第二師団につき記載 (5) 「仙台よみとき用語年表」の項目「多門師団凱旋」 / 廣瀬蒲鉾店の外観は、分類A-02-03の写真 53-38 の左に写る |
備考 | 【「仙台市史 特別編4 市民生活」P85】 ・ 喫茶「ヒロセ」は昭和初期に開業、コーヒー、紅茶中心で、東京帝大野旧制二高の学生で賑わう ☆「喫茶ヒロセ」は、蒲鉾店2階と菓子店2階の2説あり、真偽不詳 (1)菓子店2階説 【「番丁詳伝」P153より】 <広瀬菓子店と広瀬蒲鉾店の創業者は兄弟> ・ 兄の広瀬久六、弟の広瀬久乃亟は、鉄砲町の広瀬魚店の出身で、明治後期に東一番丁(大通り)に進出 ・ 1903年(M36)、兄久六が「広瀬蒲鉾店」(蒲鉾と食料品の店)を開業(当時は、周囲には桃畑があり、板塀が続く場所) / 伊達家の家紋にちなんだ笹蒲鉾をつくる ・ 1912年(M45)、弟久乃亟が「広瀬菓子店」を開業(広瀬菓子店は写真 22-55 に写る) / 昭和初年には老舗の明石屋、洋菓子の星月堂と同等の営業税を納めるほどに発展 / 2階は喫茶を供して、東北帝大生や旧制二高生などハイカラな人たちのたまり場ともなった / 仙台空襲後は店と工場を原町に置いた (2)蒲鉾店2階説 2-1、「仙台はじめて物語」(逸見英夫著)の口絵写真(この写真99-038と同じ)昭和7年七夕)では、喫茶ヒロセは広瀬蒲鉾店の、2階となっている 2-1、当サイト内「市民の思い出・時代の記憶集」のF-5 「市民の楽しみ」のうち、<格安で人気だった喫茶ヒロセ>~青葉区Y.H.さん、大正8年生、女性の思い出~「 昭和10年位のことです。 (東一番町の大通りにある)広瀬蒲鉾店の1階では蒲鉾や魚を売っていたが、2階の喫茶では食事も出していた。 他より格安でおいしかった。ご飯とみそ汁、漬物がついて25銭位だった。」 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 11 |
画像ファイル名 | sendai7011 |