分類項目 | 芭蕉の辻 |
タイトル | 芭蕉の辻 (東→西 方向) 明治前半期 |
写真番号 | 77-18 |
場所 | 仙台市芭蕉の辻 |
映像内容 | 道右側の柱(電信柱)の前が芭蕉の辻(南北に走る「国分町の通り」と東西に走る「大町の通り」との交差点)で、藩政時代~明治時代には、仙台で最も繁華だった場所 / 写る道は「大町の通り」で、奥が西方向、道の先は大橋を経て旧青葉城の大手門に至る / 辻から右へ曲がると南町、左へ曲がると国分町 / 火除けの「蟠竜」を載せた「城櫓風の建物」(4棟)は、藩政時代からの建物で、芭蕉の辻の四隅を占めていたが、それがすべて(道の左右に2棟ずつ)残っている / <屋根の向き>手前の2棟(辻の北東角と南東角)は東西方向、奥の2棟(辻の北西角と南西角)は南北方向 / 道右側の柱は電信用の柱(仙台で電信局開設は明治6年か7年) / 藩政時代に道の中央を流れていた四ツ谷用水がなくなった(道の左端は水路か?) / 辻のあたりに馬が数頭 / 左右にある「おろし」の看板は何を意味するのか? / 電信柱に向きあって道の左側のにある柱は「里程元標」か? / <参照>この場所の俯瞰図は、写真 98-022 (焼失年月日も記載) |
撮影年代 | 1873年(M6)~1890年(M23)1月14日の間 |
撮影年代判定根拠 | ①仙台で電信局開設は明治6年 / ②辻の建物が四隅すべて揃っている(焼失前) |
関連情報/参考文献 | 【粟野邦夫「芭蕉ノ辻」P2】 と同じ写真 <電信> 【「重訂 宮城県郷土史年表」P243】 明治6年、仙台国分町に電信局を開設す、東京都の間に一本の電線を引き、また電柱は市内のみに立て、郊外は樹木等を利用して架設す <芭蕉の辻の建物の焼失年> 【「重訂 宮城県郷土史年表」より】 南東角が明治23年1月14日、北東角が同年5月25日、南西角は明治35年2月3日、北西角は仙台空襲(昭和20年7月10日)で焼失 【粟野邦夫「芭蕉ノ辻」P4】では、南西角焼失は1年遅い明治36年2月3日(出典:奥羽新聞 明治36年2月4日付) <電信柱と向き合った標柱(里程元標か?)の位置> この写真77-18と写真 77-22 の2枚から類推すると、「電信柱」は辻の南東角、標柱はその対角線上の南西角にあった * 芭蕉の辻の「里程元標」については、写真 98-023 の関連情報欄参照 |
備考 | |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 5 |
画像ファイル名 | sendai2005 |