思い出・時代の記憶
A-6 南町通り | 氏名記載なし
時代 (1)戦前 (2)昭和8年1月 (3)昭和10年代末期~昭和20 
関連する写真番号 53-91, 65-01, 98-082 
<(1) 南町通りの思い出>
  写真 53-91 仙台駅から南町通りを通って、大きなマグロなどの魚が「肴町」へ運ばれた。 写真のあたりに「丸松そば店」があった。

<(2) 多門師団凱旋>
写真 65-01 と 写真 98-082   満州事変から「多門中将」が凱旋の時、この南通りを通った。大変な賑わいで、パレードの時は道を横切ることもできなかった。 小さい子供は、馬の腹の下をくぐり抜けて道を渡った者もある。 このあとこの通りは「多門通り」と言われた。

<(3) 戦時中、ビルに機関銃?>
写真 53-91  (南町通り・東一番丁角にあった)日本生命館の最上階あたりに機関銃(?)が据えられていた。 機関銃は藤崎(デパート)の屋上にも置かれていた。 空襲にそなえたもの。
南町通りと日本生命仙台支店
53-91 | 南町通りと日本生命仙台支店
多門師団凱旋③(沿道で出迎えた市民たち)
65-01 | 多門師団凱旋③(沿道で出迎えた市民たち)
多門師団凱旋⑤(司令部が多門通り通過)
98-082 | 多門師団凱旋⑤(司令部が多門通り通過)
参考 編者注: 仙台の第二師団は、昭和6年9月に日本軍が起こした満州事変で、次々と満州各地を占領し「武勲」をあげた。 師団は昭和8年1月、市民の熱狂的な歓迎の中、仙台に帰還し南町通り(写真 65-01 、写真 98-082 )を「凱旋行進」した。その際に市会の決議により、南町通りは当時の師団長・多門二郎の名を冠した「多門通り」と改名された。 

写真 53-91 は、昭和戦前期の「南町通り」で、左端が日本生命館。(東一番丁との交差点の南西角) 
 
情報提供者 氏名記載なし 
 性別 不明
 生年 不明
 住所 青葉区 
 
ID 20 
分類 A-6 南町通り 
サブ番号
思い出・記憶と写真を印刷