思い出・時代の記憶
G-3 戦没者帰還・慰霊祭 | S.M. さん
時代 昭和18~19年頃 
関連する写真番号 06-23, 16-58 
<御柱が軍神になられました>
  昭和18~19年頃の記憶です。 日本が負け戦になってきた頃、ガダルカナル島やアッツ島で玉砕が始まりました。その度に当時の小学校(国民学校)で、朝、校庭で校長先生からお話がありました。「御柱が軍神になられました」というような表現でした。  そして何日かして、宮城県、仙台関係の兵隊さんの遺骨?が帰ってきて、仙台の西公園内にあった公会堂で慰霊祭がありました。それは、一般市民は入れず、軍や遺族関係だけのお祀りだった気がします。

<最後列は、黒紋付姿の老いた親たちだった>
  公会堂には、仙台駅からまっすぐ大町を通ってその行進は行くのでした。 通りに面した家々では(隣組から通達があって)全戸、机や台を出し、花や線香を飾り、家族全員が並んで、手を合わせて祈るのでした。 前列は軍旗が何本か、その後ろは馬に乗った将校たちの列、その後は捧げ銃(ささげつつ)の型に鉄砲を持った兵隊の列、その後ろはもの悲しい音色のラッパ隊、その後ろが遺骨を抱いた兵隊たち。 最後列は、黒紋付姿の田舎の老いた両親たちだった気がします。
戦没兵士の帰還(昭和12年12月の可能性が大)
06-23 | 戦没兵士の帰還(昭和12年12月の可能性が大)
ガダルカナル島戦没兵の遺骨が、原隊へ
16-58 | ガダルカナル島戦没兵の遺骨が、原隊へ
参考 【写真説明】
06-23 は、戦没兵士の帰還(仙台駅 推定、昭和12年12月) 
16-58 は、昭和18年7月ガダルカナル島戦没兵の遺骨が帰還し、仙台駅から駅前通りを通り、歩兵第四連隊兵営がある榴ヶ岡へ向かう隊列。

編者注:
・ガダルカナル島戦は、太平洋戦争期、1942(昭和17)年8月から西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡る日米軍の戦い。日本軍は大敗し、1943年(S18)2月に島から撤退。ミッドウェー海戦と共に太平洋戦争における攻守の転換点となった。第二師団も投入され多くの戦死者を出した。ガダルカナル島戦死者の慰霊祭は昭和18年7月31日追廻練兵場。西公園の公会堂での慰霊祭はガダルカナル島戦死者ではない可能性。
・アッツ島の戦いは、第二師団など仙台関連の部隊は派遣されていないが、海軍に所属した宮城県出身者が戦死した可能性はある。 
 
情報提供者 S.M. 
 性別
 生年 1934年(S9)
 住所 青葉区 
 
ID 189 
分類 G-3 戦没者帰還・慰霊祭 
サブ番号
思い出・記憶と写真を印刷