F-3 文ちゃん | S.K. さん
<文化の文ちゃん>
私は南鍛冶町の生まれ育ちだが、五橋から南の方の人は、「文化の文ちゃん」と呼んでいた。 昔のマーケットは文化マーケットと言っていたのではないか。 そこに出ていたので「文化の文ちゃん」といったのでは?
私は15歳のころ(昭和12~13年)に、文ちゃんの舞台を2~3回みた。 文ちゃんは30歳前(20代後半?)くらいだった。
マーケットの突き当りに演舞場があり、目玉は「文化の文ちゃん」だった。 踊り、お芝居が上手く、特に印象にあるのは、小唄勝太郎の船頭小唄のレコードに合わせた踊り。 見て「綺麗だなぁ」「上手だなぁ」という印象で、女性も足元におよばない。 歌は聞いたことがない。 駒下駄をはいてチャラチャラ歩いていた。 仙台弁で「おとこおんな」のような言い方をしていた。
徴兵検査を受けてからもいた。 兵隊に行ったかどうかは知らない。 人気者だったので、直ちに徴兵ではなかったのではないか。 昭和11年頃、街の話題は、文ちゃんに男性の象徴があるのかないのか。さらりとしたエッチ話だったが。
太平洋戦争中はそんな話はすっかり忘れられて、お芝居は、寸劇のような茶番劇、コミックな人を笑わせるものが流行った。 私はまだ子供で行けないので、20歳前後の兄にせがんで連れて行ってもらった。 大人が一緒なら入れた。
参考 |
ききとり(1995年)
【写真説明】(文ちゃんの舞台)
22-55 は、昭和9年頃の仙台東一番丁南部(大通り)で、道の奥が北方向、道の右側奥のビルが「藤崎」(デパート)、写真右端の建物(山型の屋根)がマーケット。 このマーケットの奥に文ちゃんが出演する舞台があった。
74-03 と 74-02 は、文ちゃんの「あで姿」。 |
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情報提供者 |
S.K. |
性別 |
男 |
生年 |
1928年(S3) |
住所 |
青葉区 |
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ID |
112 |
分類 |
F-3 文ちゃん |
サブ番号 |
2 |