思い出・時代の記憶
F-3 文ちゃん | S.K. さん
時代 昭和11~13年頃 
関連する写真番号 22-55, 74-03, 74-02 
<文化の文ちゃん>
私は南鍛冶町の生まれ育ちだが、五橋から南の方の人は、「文化の文ちゃん」と呼んでいた。 昔のマーケットは文化マーケットと言っていたのではないか。 そこに出ていたので「文化の文ちゃん」といったのでは? 私は15歳のころ(昭和12~13年)に、文ちゃんの舞台を2~3回みた。 文ちゃんは30歳前(20代後半?)くらいだった。 マーケットの突き当りに演舞場があり、目玉は「文化の文ちゃん」だった。 踊り、お芝居が上手く、特に印象にあるのは、小唄勝太郎の船頭小唄のレコードに合わせた踊り。 見て「綺麗だなぁ」「上手だなぁ」という印象で、女性も足元におよばない。 歌は聞いたことがない。 駒下駄をはいてチャラチャラ歩いていた。 仙台弁で「おとこおんな」のような言い方をしていた。 徴兵検査を受けてからもいた。 兵隊に行ったかどうかは知らない。 人気者だったので、直ちに徴兵ではなかったのではないか。 昭和11年頃、街の話題は、文ちゃんに男性の象徴があるのかないのか。さらりとしたエッチ話だったが。  太平洋戦争中はそんな話はすっかり忘れられて、お芝居は、寸劇のような茶番劇、コミックな人を笑わせるものが流行った。 私はまだ子供で行けないので、20歳前後の兄にせがんで連れて行ってもらった。 大人が一緒なら入れた。
東一番丁(大通り 昭和8~10年頃)
22-55 | 東一番丁(大通り 昭和8~10年頃)
女形の文ちゃん(1)
74-03 | 女形の文ちゃん(1)
女形の文ちゃん(2)(舞台姿)
74-02 | 女形の文ちゃん(2)(舞台姿)
参考 ききとり(1995年)

【写真説明】(文ちゃんの舞台)
22-55 は、昭和9年頃の仙台東一番丁南部(大通り)で、道の奥が北方向、道の右側奥のビルが「藤崎」(デパート)、写真右端の建物(山型の屋根)がマーケット。  このマーケットの奥に文ちゃんが出演する舞台があった。
74-0374-02 は、文ちゃんの「あで姿」。 
 
情報提供者 S.K. 
 性別
 生年 1928年(S3)
 住所 青葉区 
 
ID 112 
分類 F-3 文ちゃん 
サブ番号
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