分類項目 | 市民の楽しみ |
タイトル | 女形の文ちゃん(1) |
写真番号 | 74-03 |
場所 | 仙台市 |
映像内容 | 昭和戦前期に、東一番丁(大通り)の「中央マーケット」(写真 22-55 の右端の建物)の奥にあった舞台で活躍し人気者だった「女形(おやま)の文ちゃん」 / 柳町の三浦畳屋の息子で「三浦の文ちゃん」とも言われた / 踊りなどさまざまな芸が上手く、女性以上に色気があったという |
撮影年代 | 昭和はじめ~1940年(S15)の間 |
撮影年代判定根拠 | 文ちゃんの推定活躍時期 |
関連情報/参考文献 | 【「御譜代町やなぎまち」P40、P53】 「昭和12~13年頃、夜みんな仕事を終えると中央マーケットへ行って・・・当時は“オトコおんな"と呼ばれて珍しくて、そういう人が踊りを踊ったりしていた」 <参照> ・ 中央マーケット(中央市場)の場所は、写真 98-110 (東一番丁 お楽しみマップ 昭和12~13年頃)の図中央下 ・ 「店舗配置図 柳町とその周辺(大正期~昭和初期)」 98-145 で、文ちゃんの実家(三浦畳屋)と住まいの位置がわかる |
備考 | <鈴木東吉さん(大正13年生まれ)1996年談>「中央マーケットの中の射的は5発で10銭、パチンコは玉1発で1銭(16歳以上しかできなかった) 奥の舞台(無料)では、文ちゃんの踊りや、人形芝居や時代劇もあった。文ちゃんが昼間暇なときに行くとお菓子をくれたり本を読んでくれたりした。普段から女装して化粧もしてきれいだった。男の人が好きで失恋して泣いていたこともあった。昭和5年から14年位まで活躍していた。 <Cさん(大正10年生まれ)1995年談>「おやまの文ちゃん」 マーケット内に、文化刺繍の教習所があり、自分も習っていたが、他の教習所のことはわからない。 / 教習所でのお茶飲みで良く出た話題は文ちゃんのことで、文ちゃんは徴兵検査をどのように受けたのか? |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 29 |
画像ファイル名 | sendai9083 |