【解説】G-25-02 多門師団凱旋

仙台を衛戍地とする陸軍第二師団(多門二郎師団長)は、満州駐箚中に起きた満州事変(昭和6年9月~)で満州各地を次々に占領。当時の市民は、その「武勲*」に熱狂した。
(* 満州事変での第二師団 → 関連資料 G-25-02(多門師団凱旋) を見よ)

昭和8年1月、市民の熱狂的な歓迎の中、第二師団が仙台に「凱旋」[65-02] した。凱旋を記念し昭和8年1月、南町通りは、師団長の名を冠した「多門通り」[98-082] と改名された。


*【「仙台市史10」(年表P280)】

「1933年(昭和8)1月7日、第二師団野砲兵第二連隊凱旋/同8日、多門師団長凱旋」
「1933年(昭和8)1月7日、仙台市会は第二師団凱旋歓迎および多門通り設定を決議す」
(これにより、仙台駅からの南町通りは、1945年まで多門通(たもんどおり)と呼 ばれた)

<参照> 当サイト内「仙台よみとき用語年表」の項目「第二師団(出兵記録)(4)」、項目「多門師団凱旋」、項目「多門通り」
<参照> 当サイト内「市民の思い出・時代の記憶集」の分類項目「G-1 多門師団凱旋」
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