【解説】F-24 ラジオ放送

ラジオ放送と仙台市民

日本放送協会は、昭和2年6月9日、仙台に東北支部を設置、翌昭和3年6月16日に東北地方で初めてのラジオ放送が北一番丁の仙台放送局 [44-11] から開始された。コールサインが「JOHK」なので市民は仙台放送局のことを愛称で「HK」とも呼んでいた。

日本のラジオ放送は、大正14年3月、東京放送局から始まり同年に開局した名古屋、大阪に加え、昭和3年には札幌、仙台、広島、熊本からも放送開始、同年11月には、札幌~熊本までを縦断する中継放送網が完成し、11月10日の昭和天皇即位の大礼の模様を全国に中継放送した。

児童唱歌コンクールで7年連続優勝

また、NHKのラジオ放送を通じて全国児童唱歌コンクールが毎年行われたが、仙台の小学校(東二番丁尋常小学校 [69-03]、南材木町尋常小学校)が第1回の昭和7年から7年連続して全国優勝し大きな話題となった。

戦前期、ラジオに出演した市民たち

仙台放送局では東京からの全国放送のほかに、仙台局独自の地域放送(ローカル放送)の時間帯をもうけた。このアルバムには、戦前ではラジオドラマ出演者(HK子ども会員 [68-03]や常盤木学園の女学生 [68-01]、映画館文化キネマの楽団員 [67-01] )、仙台商業学校生(校歌放送 [29-04] )、歩兵第四連隊兵士(多門師団凱旋の歌 [38-01] )、立町青年団ブラスバンド [44-13]、東二番丁尋常小学校児童(全国児童唱歌コンクール優勝)がある。ドラマも歌の出演も当時はすべて生放送だった。

戦後、進駐軍放送局が同居

敗戦後の昭和20年9月、進駐軍(米軍)が仙台はじめ県内に進駐し一時は1万5千名に達するが、NHK仙台局には一時、進駐軍向けの放送局( [25-01] の玄関奥に表示板)が同居し、同時にNHK仙台局の放送原稿を検閲した。

仙台七夕をテレビ全国中継

日本のテレビ放送は昭和28年からだが、東北初のテレビ放送は、昭和31年3月、NHK仙台放送局から始まり、8月の仙台七夕はその年から全国にむけ生中継された。

このアルバムには、開局に先立って行われた「テレビ実験公開」(昭和25年 [25-07] )、東一番丁からの仙台七夕生中継放送で活躍する中継班スタッフ(昭和31年 [18-33] )がある。

<参照> 当サイト内「仙台よみとき用語年表」の項目「NHK仙台放送局」
<参照> 当サイト内「市民の思い出・時代の記憶集」の分類項目「F-6 ラジオの想い出」
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