分類項目 | ラジオ放送 |
タイトル | ラジオで「多門師団凱旋の歌」を歌った歩兵四連隊兵士たち |
写真番号 | 38-01 |
場所 | 仙台市 |
映像内容 | NHK仙台放送局スタジオ / 仙台駐屯の陸軍第二師団が満州事変後、昭和8年1月に仙台に帰還した頃、歩兵四連隊の兵士達が、NHK仙台局から「凱旋の歌」を放送した / その時の記念写真で、前列左から3人目が奥田謙三さん(写真提供者) / 真ん中の女性は、歌を指導した学校の先生(榴ケ岡小学校の川上または川村先生) / 第二師団は当時の師団長の名をとって、通称「多門師団」といわれた |
撮影年代 | 1933年(S8)3月頃 |
撮影年代判定根拠 | <写真提供者からの情報> |
関連情報/参考文献 | 第二師団が旧「満州」に派遣されていた昭和6年9月、日本軍(関東軍)の謀略でおこした満州事変で、第二師団は満州各地を占領、翌7年3月には日本の傀儡国家「満州国」が建国された / 第二師団は昭和8年1月、市民の熱狂的な歓迎のもと、仙台に「凱旋」 65-02 した <参照> 写真データベースの関連資料G-25-02「多門師団凱旋」(日程など詳述) |
備考 | <青葉区・奥田謙三さん(明治42年生まれ)の思い出 「満州事変の「凱旋の歌」をラジオ放送で歌いました」> 「私は、榴ケ岡の歩兵四連隊の一員として、昭和6年5月頃渡満(第二師団の満州駐箚)/ 昭和6年9月、満州事変勃発時、四連隊は新京に駐屯中でした。満州各地で戦闘の後、昭和6年11月に戦死した兵の遺骨をもって一時帰還しました。/ 昭和7年か8年、NHK(仙台局)の古い木造の建物(スタジオ)で、四連隊のメンバーで「凱旋の歌」を合唱しました。四連隊にはピアノがなかったので、榴ケ岡小学校に1週間通って、先生のピアノに合わせて稽古しました。」 ・ 第二師団の満州駐箚 → 写真 65-02 の「関連情報欄」<満州と日本軍駐屯> |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 9 |
画像ファイル名 | sendai9107 |