分類項目 | テレビ放送 |
タイトル | テレビの実験公開 |
写真番号 | 25-07 |
場所 | 仙台市 |
映像内容 | NHK仙台局により行われたテレビジョンの実験公開 / 左に掲げられた標語は「ラヂオでつなぐ世界とわが家」か? / テントの中は、三味線を弾く女性 / その前に固定されたテレビカメラ、右にはヘッドホーンをかけた放送局員がカメラの後ろに腰かけている / テントの左右斜め前にはテント内を照らす照明器具 / 手前と右端の人たちは見物人か? / NHKのテレビ本放送開始は、昭和28年2月から、仙台局のテレビ放送開始は、昭和31年3月21日 |
撮影年代 | 1950年(S25)8月 |
撮影年代判定根拠 | 【「NHK仙台放送局60年のあゆみ」P26】 / 【「市民の戦後史」P64】に写真「テレビジョン実験公開場 昭和25年8月」 |
関連情報/参考文献 | 【「NHK仙台放送局60年のあゆみ」P26】 →「昭和25年5月4日~9月1日、全国巡回ラジオ列車により、14都市でテレビの有線実験を公開」 /【「仙台市百年のあゆみ」P26】に似た場面あり「ラヂオ列車展 テレビジョン実験公開場」とある、標語は同じだが、場所や標語の位置が違う。 /【「市民の戦後史」P64】に写真「テレビジョン実験公開場 昭和25年8月」あり。 |
備考 | 【「鉄砲町・二十人町」P62】 → <テレビの実験放送>(落合佐一さんの話) 「戦災で、仙石線の始発駅が東七番丁駅になっていた頃、七番丁から向う側の線路の上に舞台をかけて、テレビカメラを持ち込み、仙台の芸者衆に踊りなどを踊らせ、旧宮電の貨物車庫の所を利用して、すっかり暗い小屋にし、テレビ受像器(ママ)をセットして、本放送前の実験を二日から三日やっていた。この頃はカメラの感度もあまり良くなかったうようで、ライトをとにかくいっぱい照らすので、出演した人たちは汗がダラダラ流れたようだったね。」 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 16 |
画像ファイル名 | sendai9113 |