写真データベース
東一番丁界隈の進駐軍専用の店
東一番丁界隈の進駐軍専用の店

分類項目 進駐軍と市民 
タイトル 東一番丁界隈の進駐軍専用の店 
写真番号 20-01-02 
場所 仙台市東一番丁
映像内容 20-01-01-01 に、写真に写る店名など記入あり / 東一番丁南部の通称「大通り」で、藤崎デパートと青葉通りの間。 この界隈にも進駐軍専用の施設があった 
/ 道右側奥の「藤崎デパート」の地下には進駐軍専用売店の「EXPORT BAZAAR」 / 画面左下の「ひらつか」は(表示塔に「ON LIMITS RESTAURANT」とあるように)進駐軍専用のSENDAI MARKET(仙台マーケット)=フードストア(1階)とレストラン(2階)だった / 「EXPORT BAZAAR」と「ひらつか」の場所は、 98-116 (被占領時代の東一番丁周辺図 昭和23年~25年頃)の中央下あたり
/ 路上中央にはアメリカ軍人の車がみられるが、日本が米軍の「占領下」であった時代の様子
撮影年代 1951年(S26) 
撮影年代判定根拠 昭和26年発行の組絵葉書の1枚
関連情報/参考文献 平塚長治氏(ひらつか経営)談(1995年)
「戦後しばらくは電力不足のため停電する時間があったが、ひらつかが経営した「SENDAI MARKET(仙台マーケット)」は、進駐軍専用なので、2系統の電線が引かれていて停電がなかった。 当時国内は極端な食料不足で、食材の肉、魚などの流通は統制されていたが、私の店は統制外で仕入れが可能だった。米軍の将校クラブや下士官クラブからも食材の注文があると、ひらつかが買い付けて納めた。築地へ何日かに一回出かけて入手。野菜は、地元の市場や直接農場で買い付けた。米国人はトマトが好きで、冬も夏も同じ量が必要で、高いときは1個100円、1箱3000円もした。(夏は三輪自動車1台分で3000円)
昭和25年朝鮮戦争開戦にともない米兵が少なくなり、パン屋に転換、その際は米軍苦竹キャンプにあったパン製造設備を入手(スクラップ状態で処分されたものを、米軍司令官の推薦状をもらい、スクラップ業者になって入札) 苦竹キャンプのベーカリー従業員6人位(技術屋)を雇い、スクラップを組み立てて使った。当時は、国内最新鋭のパン工場だった。
米軍将兵は、風俗営業は米軍専用(ON LIMITS)の店しか入れず、衣類などの買い物はそのような制約はなかった。」
備考 <参照> 当サイト内「仙台よみとき用語年表」の項目「進駐軍(米軍)」、項目「駐留軍(米軍)」 
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号 19 
画像ファイル名 sendai12089 
写真とデータを印刷