思い出・時代の記憶
C-3 商店 | H.Y. さん
時代 昭和戦前期戦後 
関連する写真番号 61-11 
<戦前の大原屋呉服店>
 東一番丁にあった大原屋呉服店は私の母の実家です。 大原屋呉服店は、戦前は庶民が着られる着物、帯などを扱っていました。  家(立町)は店とは別で、従業員も立町の家で一緒に暮らしていました。 丁稚さんが大勢いて、朝ご飯は、大きな板の間で食べ、直径1m位の鍋で味噌汁を作りました。 家の子供も番頭さんたちの子供も平等に扱われました。  家の裏には大原屋所有の広大な梨畑があり、イタチが出没していました。 大武写真展がおかかえで、よく写真を撮っていました。(八木山球場にベーブルースが来たとき、母が観戦している写真など) 店は仙台空襲(昭和20年7月)で焼失しました。

<戦後の大原屋呉服店>
 店が空襲で焼けて、昭和20~26年は土地を切り売りして生活していました。(立町小学校のあたりに広大な土地を持っていた) 立町通りを拡幅して広瀬通りを通すために、店があった土地を取られたので代替地を貰い、昭和26年頃、現在(1996年)の立町小学校のところに小さな店を開き、初めのうちは端切れを売っていました。 昭和27年に虎屋横丁の突き当りに移りました。
大原屋呉服店(東一番丁 昭和3年)
61-11 | 大原屋呉服店(東一番丁 昭和3年)
参考 ききとり(1995年) 
 
情報提供者 H.Y. 
 性別
 生年 1931年(S6)
 住所 青葉区 
 
ID 56 
分類 C-3 商店 
サブ番号
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