思い出・時代の記憶
C-2 仙台駅前 | T.Y. さん
時代 戦前 
関連する写真番号 04-01, 53-88 
<駅前、相馬屋食堂>
 この写真 04-01 の正面右手の相馬屋食堂が祖父(又二郎)の持ち物だったらしいです。 根拠としては、祖父が生前、母に、「昔仙台駅の今の第一ビルの所に土地を持っていた」と言っていたことと、私が小学生の頃、祖父に、「今の第一ビルの所に、俺は3階建てのビルを持っていたが、戦時中に高いビルがなく、俺のビルのあたりが目立った為、B-29に爆弾を落とされ、その保険金として500円もらった。 そしてこの500円で、今の中央通りのデンコードー(旧小松電気)を買って半地下を作ってバナナを沢山保管し(緑色のバナナを買ってきてむして売る)、夏はスイカを切り売りし、1枚20円で売ってよく売れた」など良く聞かされていた。   その後、祖父は宮城野原に友人と3人で、仙台卸売市場の問屋の組合「宮果」というのを作ったと聞かされていました。 ですから第一ビルの所も果物屋をやっていたと思いましたが、親せきの人が言うには、食堂だと言われ半信半疑でしたが、本日この写真を見て、(食堂だったとわかり)疑問が解けました。 その食堂の名前の由来は、おじいちゃんの故郷が福島県相馬市中村というところなので相馬屋食堂とつけたのとすべて納得しました。
出発する部隊と 見送りの市民たち
(昭和12年の可能性大)
04-01 | 出発する部隊と 見送りの市民たち (昭和12年の可能性大)
仙台駅前広場と駅前の商店群 (2代目駅舎時代)(1)
53-88 | 仙台駅前広場と駅前の商店群 (2代目駅舎時代)(1)
参考 【写真説明】
04-01 (昭和12年頃)は、仙台駅前広場で、陸軍部隊の出発(見送り)の写真だが、背景に広場北側の「相馬屋食堂」が写る。
53-88 (昭和11年頃)では、仙台駅前広場の北側に面して、針久支店(旅館・食堂、上に三角の小旗)、左側一軒おいて相馬屋食堂(屋根の上に「両関」の広告看板)、佐藤物産店(角の店)が確認できる。 
 
情報提供者 T.Y. 
 性別
 生年 1967年(S42)
 住所 青葉区 
 
ID 35 
分類 C-2 仙台駅前 
サブ番号
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