H-2 戦後体験 | A.T. さん
<戦後間もなくの仙台駅の思い出>
戦後、(戦地から)復員してきた兵隊さんたちが夜寒いので、仙台駅前の広場で暖をとるために、バラック建てだった駅舎の木の板を片っ端からはがして焚き火をしていました。とがめる人はなかったと思います。
その駅舎が昭和24年に建替えられました。ちょうどその日は仙台駅前におでんを売りにゆきました。 ふろしきに七輪と薪と鍋をいれて背負って・・・・。大根とにんじん、こんにゃくだけのおでんでしたが、あっという間に売り切れてしまいました。食べるものがほんとうに無かったのです。
<復員兵のこと>
帰ろうとしていると、復員の兵隊さんに「仙北の方に帰る途中ちょっと降りたのだが、この米を炊いてくれませんか」と頼まれました。 1升のお米を炊いて、8つの大きなおにぎりを作ってあげたら、本当に喜んで何度もお礼を言って帰っていきました。 今でもこの日のことははっきりおぼえています。
参考 |
【写真説明】
91-02 は、戦後の急造駅舎(第3代駅舎)、昭和20年9月撮影。
05-02 は、昭和24年7月にできた第4代駅舎、昭和24年8月撮影。
編者注: 戦後の仙台駅舎は、昭和20年7月の仙台空襲で焼失後に、しばらくは木造平屋の急造駅舎(戦前からの通算で第3代駅舎)だったが、昭和24年7月に木造2階建の第4代駅舎ができた。 第4代の駅は、大きな庇と駅舎正面の大時計が特徴だった。
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情報提供者 |
A.T. |
性別 |
女 |
生年 |
1925年(T14) |
住所 |
宮城野区 |
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ID |
276 |
分類 |
H-2 戦後体験 |
サブ番号 |
9 |