思い出・時代の記憶
G-7 仙台空襲 | M.T. さん
時代 昭和20年7月 
関連する写真番号 99-100 
<仙台空襲 15歳の娘だった私 亡くなった人の名簿つけ>
   仙台空襲(昭和20年7月10日)の時は、自転車に蒲団を積んで片平の裁判所まで逃げた。蒲団は仮眠をとれるよう、いつも店に置いてあった。 空襲で近所の友達が大勢亡くなり、川に飛び込んだけれど水が熱くて死んだ人もいた。  常盤木女学校生の女子挺身隊員として、空襲で亡くなった人の名簿つけを簡保(仙台簡易保険支局)=写真 99-100 でやった。 空襲の後は、火がまだ消えなくて熱かった。
仙台簡易保険局
99-100 | 仙台簡易保険局
参考 編者注: 北一番丁の仙台簡易保険支局は、コンクリート建築、仙台空襲では、道をへだてた西隣りまで焼けたが、簡保局は焼失を免れた。 敗戦後は、関東以北の占領に責任を持つ進駐軍(米軍)の軍団司令部が仙台におかれたが、占領の中枢機能を置くため、簡易保険支局庁舎が接収された。 
 
情報提供者 M.T. 
 性別
 生年 1930年(S5)
 住所 青葉区 
 
ID 261 
分類 G-7 仙台空襲 
サブ番号 23 
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