G-7 仙台空襲 | I.M. さん
<広瀬川沿いにあった我が家>
写真
01-01-03 は、愛宕山からの撮影。 右端の橋は愛宕橋。 広瀬川の手前(写真真ん中下)はプール。 川べり手前の住宅群の右から2番目がわが家で、我が家の右隣は玉沢菓子屋の奥さんの妹さんの家でした。 まだ戦災にあう前の様子です。
<不発弾を手で川へ投げ捨てた>
昭和20年7月の仙台空襲では自宅の前、東側の住宅群はすっかり焼け落ち、わが家にも5発の焼夷弾が落ちましたが、燃え上がる前に消すことが出来ました。 不発弾は手で川へ投げました。 我が家(黒い屋根)の向かって左隣まで空襲で焼けました。 家の隣の空地で防空壕に入った(近所の)家族は亡くなりました。 愛宕山の氷蔵(トンネル)に私が年寄りと子供を避難させました。 そこには、畳まで敷いて入っている人がいました。
<主人が他界し、姑たちを連れて東京へ>
戦後2年足らずの昭和22年5月に主人が他界。その年の12月末に、東京在住の義兄が来仙してくれ、私たちは家を整理、姑たちをつれて東京へ移りました。