思い出・時代の記憶
G-7 仙台空襲 | A. さん
時代 昭和20年7月 
関連する写真番号 35-14, 35-15 
<仙台空襲の焼け跡に立って>
戦時中、農村動員から帰ったら、仙台の街が7月10日の空襲で一面の焼け野原になっていた。 藤崎の前から仙台駅が見え、駅のスピーカーが聞こえていた。 これを見て、必ず昔以上の仙台市にしてみせると心に言い聞かせたものだった。 今、青葉城址から見た不夜城の仙台を見て、当時を思い出します。
空襲焼失地域(F) 東一番丁一帯
35-14 | 空襲焼失地域(F) 東一番丁一帯
空襲焼失地域(A-1) 仙台駅西北側一帯(2)
35-15 | 空襲焼失地域(A-1) 仙台駅西北側一帯(2)
参考 編者注: 仙台空襲(昭和20年7月10日)では仙台中心市街地の約500ヘクタールが焼失。1400人近い死者が出た。仙台駅前からは1.5キロ離れた西公園や北西方向の大学病院まで見通せるほど焼き尽くされ、壊滅状態となった。

「農村動員」とは、戦時中、多くの働き手の男性たちが出征して人出不足だった農村部へ、生徒たちが勤労動員されたこと。生徒たちは泊まり込みで農作業を手伝った。 
 
情報提供者 A. 
 性別
 生年 1933年(S8)
 住所 太白区 
 
ID 239 
分類 G-7 仙台空襲 
サブ番号
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