思い出・時代の記憶
G-6 戦時体験(銃後のくらし) | A.T. さん
時代 昭和16年 
関連する写真番号 05-03 
<炎天下で田の草取り 銃後を守る女子青年団>
これは、昭和16年6月、基準田の田の草取り(機械を押す)風景です。 私は女子青年団分団長でした。 当時基準田と称し田植えから稲刈りまでの実習体験するのです。 除草剤等がまだなかった時代ですので、 ①田植えして、②一番田草取り(機械押し)、③二番草取、三番草取りは炎天下、汗流しての手取りでした。(写真05-03で、プラカードを持ったのが私です) 撮影場所は現在(1995年)の岩切中学校に位置します。 当時、隣の小学校の庭東側に桜の木が一本あり、それより東は広々とした田園でした。 現在は中学校、岩切支所、市民センター、消防署が出来、住宅も密集してまいりました。 当時政府は大戦(太平洋戦争)を目前に控え、男子不足を女子の双肩に…とのことで、銃後の守りを女子青年にとの事で・・・・ 一粒でも増産、一鍬々々込めて耕すといった国策でした。 私は17歳でした。 ちなみに、 岩切村が仙台市に合併したのが昭和16年9月5日。 太平洋戦争開戦は16年12月8日です。
農村女子青年団が除草作業 (昭和16年)
05-03 | 農村女子青年団が除草作業 (昭和16年)
参考 写真提供時に、添えられた書簡 
 
情報提供者 A.T. 
 性別
 生年 1924年(T13)
 住所 宮城野区 
 
ID 228 
分類 G-6 戦時体験(銃後のくらし) 
サブ番号 19 
思い出・記憶と写真を印刷