思い出・時代の記憶
G-4 軍隊体験 | S.T. さん
時代 昭和16年~20年 
関連する写真番号 04-01, 16-65, 16-62 
<私の戦場歴>
 第二師団の工兵第二連隊所属。 昭和16年12月8日、第二師団は、全部出発 →名古屋附近に待機 →17年1月16日、宇品港(広島)から出航 →台湾の高雄で休養 →仏印のカムラン湾に集結 →17年2月10日頃、ジャワ島へ、3月1日に敵前上陸 →17年8月末頃までジャワ →ガダルカナル島が危なくなり、17年9月頃にラバウル経由でガ島へ  

<ガダルカナル戦>
 昭和17年9月上陸、18年2月5日~7日の間に撤退。 戦闘は10月25,26日に総攻撃。飛行場をとるために攻撃したが失敗し、その後は持久戦。 援軍が来るのを待つ。 当時の第二師団長は丸山政男中将、十六連隊(新発田)の歩兵団長の那須弓雄少将は戦死された。(閣下としては陸海軍通じて一番早く戦死された。戦死されて中将に)(詳しくは、野田孝次著「髭の副官」非売品)    艦砲射撃、戦車攻撃を受け、食糧も無くなり餓死者が多かった。 腹がふくれて死んだ。 約2万人(第二師団、三十八師団、東海林部隊など九州の部隊)が18年2月にガ島からラバウルへ撤退した。(全員「転進」)。 遺体はガ島に埋めて、砂をフィリピンに持ってきて、骨箱を作り、遺留品(ジャワ島に置いていたもの)を合わせて入れた。 「骨箱」に遺骨は入っていない。 マニラで遺品を整理して、英霊は18年7月に帰仙。 (経験者が書いた戦記4冊を持っている。) 

<その後も戦線に>
 ガ島 →19年1月にビルマへ →帰国 →ベトナム(仏印)のサイゴンで終戦
出発する部隊と 見送りの市民たち
(昭和12年の可能性大)
04-01 | 出発する部隊と 見送りの市民たち (昭和12年の可能性大)
ガダルカナル島戦没兵の慰霊祭(3)(遺骨を受け取る遺族)
16-65 | ガダルカナル島戦没兵の慰霊祭(3)(遺骨を受け取る遺族)
ガダルカナル島戦没兵の慰霊祭(6)(参列者たち)
16-62 | ガダルカナル島戦没兵の慰霊祭(6)(参列者たち)
参考 S.T.さんは青葉区の佐藤武さんでガダルカナル戦の生存者 / ききとり(1995年8月9日) 
 
情報提供者 S.T. 
 性別
 生年 1921年(T10)
 住所 青葉区 
 
ID 199 
分類 G-4 軍隊体験 
サブ番号
思い出・記憶と写真を印刷