仙台空襲(文献より)[35-13]、[35-14]、[63-04]、[98-147]
「1945年7月10日、仙台市は米軍のB29、100機による空襲をうけ、中心市街地の500ヘクタール(市街地の約17%)を焼失。被災人口 57,321人、被災家屋 11,933戸(当時の全市戸数の約23%)」(死傷者、行方不明者の数もあるが、空襲間もなくの統計で正確でないと思われる)
「死者は 約1400名近い(確認1064名、身元不明など335名)」
G-28の写真(仙台空襲被害)には、
空襲後、地元警察が時をおかずに(翌日か数日以内)撮影したもの、市民(森権五郎氏、遠藤多輔氏、久保田多利治氏)が割合早い時点で撮影したもの、焼け跡(自宅や店や職場の跡)を背景に家族や友人を撮影したものがある。
このうちの2~4枚を組み合わせると、隣り合った地域を撮った組写真になるものがあり、空襲焼失地域 (A) ~ (E)、(H) と名付けた。(被害を広域で把握できる)
但し、G-20のアルバムには、組写真でなく個別の写真として入れてあり、データベースでは各写真のタイトルにはA-1, A-2などを付記し、組み合わせ順がわかるようにしてある。
1枚だが、俯瞰で広域が写るもの
画質は良くないが、(A)~(G)の各撮影エリアのパノラマ画像(内容説明つき/PDF)は、関連資料G-28-A、同G-28-B、 同G-28-C、同G-28-D、同G-28-E、同G-28-F、同G-28-G にある。
(A)~(H)の一覧表は → 関連資料 G-28(空襲被害の組写真一覧表) を見よ
(A)~(G)の撮影エリア図(カメラ位置と撮影方向・範囲)は、 → 仙台空襲被害の撮影エリア図(写真番号 98-093)を見よ