【解説】G-28 仙台空襲の被害

仙台空襲 (文献より)

  1. 『仙台市戦災復興誌』(仙台市開発局 1981年)

    「1945年7月10日、仙台市は米軍のB29、100機による空襲をうけ、中心市街地の500ヘクタール(市街地の約17%)を焼失。被災人口 57,321人、被災家屋 11,933戸(当時の全市戸数の約23%)」(死傷者、行方不明者の数もあるが、空襲間もなくの統計で正確でないと思われる)

  2. 『仙台はフェニックス』(1995年発行 P341)

    「死者は 約1400名近い(確認1064名、身元不明など335名)」


G-28の写真(仙台空襲被害)には、

空襲後、地元警察が時おかずに(翌日か数日以内)撮影したもの、市民(森権五郎氏、遠藤多輔氏、久保田多利治氏)が割合早い時点で撮影したもの、焼け跡(自宅や店や職場の跡)を背景に家族や友人を撮影したものがある。

このうちの2~4枚を組み合わせると、隣り合った地域を撮った組写真になるものがあり、空襲焼失地域 (A) ~ (E)、(H) と名付けた。(被害を広域で把握できる)

  • (A) 仙台駅西北部一帯:「写真35-16」「35-15」「35-18」「35-17」の4枚
  • (B) 大町通り以北一帯:「写真53-80」「53-74」「53-71」の3枚
  • (C) 肴町付近一帯:  「写真53-73」「53-72」の2枚
  • (D) 県庁舎南側一帯: 「写真35-09」「35-10」「35-11」の3枚
  • (E) 二日町・北一番丁角以南: 「写真53-45」「53-75」の2枚
  • (H) 天守台から俯瞰: 「写真35-19」「35-22」「35-24」「35-21」の4枚

但し、G-20のアルバムには、組写真でなく個別の写真として入れてあり、データベースでは各写真のタイトルにはA-1, A-2などを付記し、組み合わせ順がわかるようにしてある。

1枚だが、俯瞰で広域が写るもの

  • (F) 東一番丁一帯「写真35-14
  • (G) 南町通り周辺「写真63-04

画質は良くないが、(A)~(G)の各撮影エリアのパノラマ画像(内容説明つき/PDF)は、関連資料G-28-A、同G-28-B、 同G-28-C、同G-28-D、同G-28-E、同G-28-F、同G-28-G にある。

(A)~(H)の一覧表は → 関連資料 G-28(空襲被害の組写真一覧表) を見よ

(A)~(G)の撮影エリア図(カメラ位置と撮影方向・範囲)は、 → 仙台空襲被害の撮影エリア図(写真番号 98-093)を見よ

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